海外メディアが報じる日本

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マーク・トウェイン号のお話。

サミュエル・クレメンズは7人兄弟の6人目として産まれた。

小学4年生の頃に父がなくなり、彼は学校を辞めて働くことになった。

18才の頃ニューヨークに移り、出版社で仕事を始める。
出版社で働きながら、彼は蒸気船の船頭になることを夢見た。

「船頭になれば、月に150ドルも200ドルも稼くことができる。なにより彼らは、この200マイルにも及ぶミシシッピ河の木と言う木、岩と言う岩を知り尽くしていて、真っ暗闇の中でもどこに何があるか分かるんだ。」


彼はミシシッピ河の定期船の船頭に頼み込んだ。
「船頭になりたいんです。安い給料でいいので、修行させて貰えませんか。」

見習いとして雇われた彼は、ミシシッピのありとあらゆる目印、岩、木、流れの強いところや弱いところ、深いところや浅いところを全て覚えた。

今いる場所の深さを確認するため、船頭は数分に1回ずつ、河の中に測り棒を沈める。
水面の目盛りの番号を見て、大きな声で船員達に伝える。

マークワン、マークツー、マークスリー…。

サミュエルは南部訛りだったので、2番目の目盛りを読み上げる時は「マークトウェーイン」と叫んでいた。

26才の頃南北戦争が勃発し、ミシシッピ河の通行は封鎖されてしまった。

職を失った彼は新聞社で記者の仕事を始めた。
ペンネームは「マーク・トウェイン」。

物書きとして人気を得た彼は講演者として、スピーチを依頼されるようになった。
彼のスピーチの面白さが大きな話題となり、マーク・トウェインの名はアメリカ中で知られるようになった。

その後新聞社を辞めた彼は小説を書く。

タイトルは「トム・ソーヤーの冒険」。
トムと彼の親友、ハックルベリー・フィンの冒険を描いたこの小説は、現在に至るまで、アメリカ文学史上最も有名な作品となっている。


ディズニーランドを作る際、ウォルト・ディズニーはこの小説の世界観を現実に作りたいと考え、自ら設計を行った。
そしてディズニーランドのオープンから1年後の1956年、「トム・ソーヤ島」が完成した。

小説に登場する岩や洞窟、マーク・トウェインの本名をもじった「サム・クレメンス砦」などを作った。
周りを河で囲み、船を回遊させることにした。


1983年、東京ディズニーランドにも同じエリアが作られた。

オープンを間近に控え、ウエスタンランドで「蒸気船マークトウェイン号」の就航式が行われた。
この時、船上からひと瓶の水がこの河に注がれた。
マーク・トウェインが船頭として働いた、ミシシッピ河の水だった。



ちなみにマークトウェイン号では良く聞くと「マークワン…マークトウェイン…」の声が流れてます。