海外メディアが報じる日本

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「愛しのレイラ」のモデル、世紀のモテ女パティ・ボイドの物語。


18才の頃ロンドンでスカウトされたパティは、いくつかの雑誌でモデルとして働いた。
しかし彼女はひどい出っ歯だった。

現場のカメラマン達は言った。
「口を閉じてくれ!いったい、こんなネズミかウサギみたいなモデルを連れてきたのはどこの担当者だ?」

しかし彼女から滲み出る愛嬌の良さは読者から支持され、ヴォーグやマリー・クアントのモデルとして徐々に活動の場を広げていった。


1964年3月2日、彼女は映画「A Hard Day's Night(ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!)」の女子学生役としてロケに参加した。
この時、ジョージ・ハリスンがパティに一目惚れをし、デートを申し込む。
当時彼女は別の写真家と婚約寸前であったが、数日後に別れてジョージと交際を開始し、翌年のクリスマスに婚約をする。

この婚約でパティの知名度は爆発的に上がり、彼女は一気にトップモデルの仲間入りをする。


1973年、パティはロニー・ウッドフェイセズ、のちにローリング・ストーンズに加入)と浮気をし、ハリスンとの関係は徐々に悪化。1977年に離婚が成立する。


ジョージ・ハリスンがパティと結婚していた時、彼女に想いを寄せていたミュージシャンは他に3人いた。

ビートルズのバンドメンバー、ジョン・レノン
ローリング・ストーンズミック・ジャガー

そしてハリスンの親友でもあったエリック・クラプトン

クラプトンは、富、名声、そしてパティまでものにしていた親友のジョージに強い嫉妬心を抱いていた。

1970年、パティについて歌った「愛しのレイラ」を発表し、クラプトンは彼女に気持ちを伝えるが、フラれてしまう。
それから数年間に渡りパティを追い続け、ついにパティが折れる形で、ハリスンとの離婚が成立。パティはクラプトンと結婚した。

この出来事があったあとも、クラプトンとハリスンの友情は壊れることはなかった。


ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンはそれぞれ、パティへの想いを歌った曲を複数書いている。

ビートルズの「Something」、「I Need You」、「If I Needed Someone」、「Love You To」、「For You Blue」。
クラプトンは「愛しのレイラ」、「Wonderful Tonight」。


クラプトンのアルコールが原因で2人は1989年に離婚。現在パティは資産家のロッド・ウェストンと結婚し、写真家として活動している。



パティ・ボイド出演シーン、「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」