海外メディアが報じる日本

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ヴァン・ヘイレン講談

「ピアノの練習いやだなあ。兄さん、なんで父さんは俺たちにピアノなんか習わせるんだろう?」

兄のアレックスは答えた。
「父さん売れないクラリネット奏者だろ?先週はラジオの演奏会に行って、今週はサーカスで生演奏の仕事やって、でもあんまりいい給料貰ってないみたいなんだよ。それで俺たちにはもっと儲かりそうなピアノがいいって思い込んでんじゃないかな?」

ピアノのレッスンから家に帰ると、母親が台所で泣いていた。

「母さんどうしたの?」

「何でもない、いつものことよ。」
そう言って、彼女は買い物袋の中で割れた卵を片付けていた。

兄のアレックスが言った。
「また嫌がらせか。俺がやり返してやる。」

彼らの母親はインドネシアとのハーフだった。
当時のオランダではアジア系への人種差別が酷く、道で唾をかけられたり店で買った物を投げ捨てられたりすることは珍しくなかった。

帰宅した父親は落ち込んでる家族を見て、言った。
「おい、荷物をまとめよう。いい仕事が決まったんだ。アメリカに行く船の中で演奏する仕事だ。家族みんなで船に乗ってそのままアメリカに住んでしまうのはどうだろう?」

オランダでの酷い人種差別に悩んでいたファン・ハーレン一家はこうしてアメリカへ移住した。
エドワードは近所の子供たちからエディと呼ばれる様になった。

兄はエディに言った。
「オランダじゃ音楽と言えばクラシックばかりだったが、アメリカにはロックンロールの凄い人がいっぱいいる。俺はあんな風にギターがやりたいんだ。お前はリズム感があるからドラムをやれよ。」

エディは父親に頼み込み、ドラムセットを買うための金を借りた。
そして父親にドラム代を返すため、毎日アルバイトに精を出した。

しかしある日アルバイトから帰ってくると、自分のドラムの椅子に兄のアレックスが座っていた。
「見てみろ。お前がバイトばかりやってる間に俺も叩ける様になったぞ。」
アレックスはドラムを叩いた。

その演奏を見てエディは腰を抜かした。
「まるでプロじゃないか。俺のドラムなのにとんでもなく使いこなしてるな。」

アレックスは言った。
「エディ、お前じゃなくて俺がドラムやった方が良さそうだな。俺のガットギターをやるから、そっちをやれよ。」

「勝手だな兄さんは・・・」

こうしてエディはギターを手にした。

兄がプロの様に叩くドラムの音に合わせて、エディはギターをかき鳴らすようになった。

するとエディは自分のギターと兄のドラムの音が自分の耳に響き、いつの間にかその音が目に茶色に映るようになった。
「兄さん、僕らの作る音は茶色の音だよ。」

「お前、音の色が見えるのか?」

「そうだよ。僕がジミヘンやクラプトンの様なエレキギターを弾くと、もっと茶色が濃くなると思うんだ。そこを目指したい。」
そしてエディは日本のメーカー、テスコのエレキギターを70ドルで購入し、練習を始めた。

カリフォルニア州パサディナで高校生になる頃には、毎日数時間練習を続けた結果が出ていた。
超一流のギタリストでも20〜30秒しか弾けない指技をエディは延々と弾き続けることが出来るようになっていた。

兄弟は同じパサディナの大学に行き、そこで別のバンドで活動していたヴォーカリストとベーシストを引き抜き、新たなバンドを結成した。
バンド名は、ファン・ハーレンを英語風に読み、ヴァン・ヘイレンとした。