日本武道館が開館した1964年、アメリカでも音楽の歴史の現場となるコンサート会場がオープンした。
ただしこっちはキャパシティ500人の小さな小屋。
ハリウッドのサンセット大通りとノースクラーク通りの交差点の角にオープンしたこの施設はWhiskey a Go Go(ウィスキー・ア・ゴーゴー)と名付けられた。
ウィスキーは、当時流行していたゴーゴーダンスを踊るディスコハウスとしてオープンしたが、ステージも備え付けられ、アーティストがライブを行うこともできた。
こけら落とし公演は、ジョニー・リバースが行った。
L.Aのロックの歴史はここから幕を開ける。
オープンから2年後の1966年、オーティス・レディングがウィスキーでライブアルバムを収録。さらにザ・ミラクルズの「Going to a Go-Go」がヒットし、ウィスキー・ア・ゴーゴーの名はアメリカ中に知れ渡った。
しかし同じ年、サンセット大通りで暴動が起こった。
ロックカルチャーの発信地となったサンセット大通りの治安が悪化したとして、警察は取り締まりにかかった。
カルチャーの拠点であったウィスキー・ア・ゴーゴーがターゲットにされた。
警察はウィスキーのオーナーに警告する。
酒や、いかがわしいダンスの名前が入っている施設は治安に悪影響だ。「Whisk(ウィスク)」にでも改名しなさい。
また警察は夜10時以降の通行規制を発動しようとするが、若者はこれに反発する。
「それじゃあライブや飲み会も出来ないじゃないか。俺たちの権利を侵害するつもりか。」
11月12日には1000人に及ぶデモ抗議をサンセット大通りで行ったが、結局いくつかのナイトクラブは閉鎖に追い込まれた。
ウィスキー・ア・ゴーゴーの改名は何とか免れた。
この事件はロックカルチャーの発信地としてのサンセット大通りの存在をより強固なものとした。
サンセット大通り暴動
ウィスキー・ア・ゴーゴーはロックバンドの登竜門となり、若き日のジミ・ヘンドリックス、ビーチ・ボーイズ、ザ・ドアーズ、ピンク・フロイド、アリス・クーパー、レッド・ツェッペリン、フランク・ザッパ、AC/DC、ラモーンズ、グレイトフルデッド、イギーポップ、ガンズ・アンド・ローゼズ、キッス、ヴァン・ヘイレン、モトリークルー、オアシス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ブロンディ、エミネム、リンキン・パークなど幾多のアーティストがこの500人しか入らない小さなライブハウスでコンサートを行ってきた。
新木場スタジオコースト、Zeppダイバーシティのキャパがそれぞれ2400人と言えば、500人がいかに小規模かは分かってもらえるだろう。
フランク・ザッパは、ここでのライブがきっかけで初のレコード契約を勝ち取った。
メタリカはこの場所で、クリフ・バートンに声をかけ加入を決定した。
ハードロックの歴史を変えたガンズ・アンド・ローゼズ「Welcome to The Jungle」のビデオはここで撮影された。
ウィスキー・ア・ゴーゴーは、世界1有名なライブハウスとなった。
2006年、世界のロック・カルチャーのランドマークであり続けてきたウィスキー・ア・ゴーゴーは、コンサート会場として唯一ロックの殿堂入りを果たした。
オープンから55年経った現在も、同じ一角で運営を続けている。
ビートルズのメンバー、店内のバースペース
ガンズ・アンド・ローゼズ「Welcome to The Jungle」。ウィスキー・ア・ゴーゴー店内と、その周辺の道路や店頭で撮影された。