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アンドレ・マトス追悼。Angra初代ヴォーカリストの半生を振り返る。

6月8日、ブラジルのヘヴィメタルバンドAngraのオリジナルヴォーカリストアンドレ・マトスが死去した。心臓発作と見られている。


多くのアーティストから追悼の声が集まっている。


世界のヘヴィメタルシーンにおいてブラジルの地位を高め、メロディックパワーメタルというジャンルを代表するバンドであるAngraの創設メンバーだったアンドレ・マトス。
彼の半生を振り返る。


マトスは1971年、サンパウロで産まれた。
10才の頃にピアノを始め、中学になると音楽好きの友人たちと部屋に集まって、好きなバンドのレコードを聴いた。
その友人たちと組んだのが最初のバンド、Viper。この時マトスは13才だった。

活動するにしたがって、Viperの他のメンバーはよりヘヴィなサウンドを嗜好するようになった。クラシック音楽に近いサウンドに興味を持つようになったマトスは脱退する。
Viper脱退後、彼ニ改めて音楽学校に通い、オーケストラや音楽理論の勉強をする。
その学校で彼はラファエル・ビッテンコートと出会う。

意気投合した彼らはバンドを結成し、すぐに一緒に曲を書き始めた。

バンド名はAngra(アングラ)。
ブラジル神話の炎の女神から名前を引用したこのバンドは、現在に至るまでメロディックパワーメタルというジャンルを代表するバンドの1つとなる。

デビューアルバム「Angels Cry」は、日本とヨーロッパでヒットを記録、日本ではゴールド・ディスクを獲得した。
このアルバムにはヘヴィメタル史に残る名曲「Carry On」も収録された。

Helloween譲りのドラマチックなメロディックパワーメタルサウンドに、ブラジルのラテンミュージックのリズムを掛け合わせた独特のサウンドで人気を手にした彼らは、2枚目の「Holy Land」3枚目の「Fireworks」とヒットを連発する。
しかし「Fireworks」のツアー後、マトスはバンドのマネジメントを巡り言い争いとなり、Angraを脱退する。

Angraを脱退したマトスはShaaman(シャーマン)を結成。
1枚目の「Ritual」、2ndの「Reason」はいずれもヒットを記録した。

2007年にShaamanを脱退したマトスはソロ・アルバム「Time to Be Free」をリリース。これは彼の最高傑作の1つとなり、再び世界的な成功を収める。ヒットしたものの、このアルバムに伴うミュージックビデオは、日本のファンの為に作られたカバー曲のビデオだけであった。

2009年にはソロとして2枚目の「Mentalize」をリリース、2012年にはViper25周年を記念した再結成ツアーを行った。
キャリア初期から晩年に至るまで、彼の最大の支持基盤は、母国ブラジルと、ここ日本であった。

日本語で演歌も歌っている。



メロディックパワーメタルというジャンルを築き上げた功労者の一人であり、日本と相思相愛の関係でもあり続けたアンドレ・マトス。
47年という短い生涯ではあったが、ブラジルのヘヴィメタルシーンのパイオニアとして、そしてAngraという偉大なバンドのヴォーカリストとして、彼はヘヴィメタルの歴史から忘れ去られることはない。



さあ、歩み続けるんだ
人生には意味がある
きっといつかその意味を見つけることが出来るだろう

歩み続けるんだ
過去の思い出は捨てて
歩み続ける

Carry On/ Angra