エリック・マーティンの葛藤。Mr.Bigの未来はどこに向かうのか。
2019年7月号のBurrn!誌に掲載された、Avantasiaで来日したエリック・マーティンへのインタビューは、ファンを複雑な気分にさせるものだった。
パットが亡くなった後の後任ドラマー、マット・スターの演奏にイラ立っていたこと。
バンド外の活動に軸を置いてきたポール・ギルバートへの積年の不満。
「Mr.Bigとして何かやるよ!」と、決まっていないことについて口を滑らせてしまったことへの自責の念。
「クソっ…」と苛立ちを見せながら、出来ればMr.Bigという炎を絶やしたくはない、だけどそれを出来る自信がない、という趣旨のことを言う。
途中でエリックは話を切る。
「話を変えよう。僕は愚痴り続けてしまっている。」
彼が今大きな葛藤を抱えていることが分かる。
かつてないほど大きい葛藤。
何らかの形でMr.Bigというバンドを継続できればとは思うが、パットを失った傷は癒えていないし、相応しいドラマーを見つけられる気がしない。
ポール・ギルバートにはバンド継続へのモチベーションが無さそうである。
エリック・マーティンは音楽に真摯なアーティストであり、Mr.Bigというバンドを心から愛している。
だからこそ、この大き過ぎるジレンマを、抱えきれずにいるような印象を受ける。
僕は好きなバンドトップ10に入るくらいの大ファンだが、Mr.Bigは率直に言って、報われないバンドだったと思う。
実力やサウンドの大衆性を考えれば、世界のトップに立ち続けていてもおかしくないはずのバンドだった(「To be With You」は全米1位になったけど)。
でも現実には、日本なら武道館をいっぱいに出来る大物かもしれないが、欧米ではそうではない。フェスに出ても、ラインナップの下の方にちっちゃく書かれるだけ。
時代、プロモーション、いくつか理由はあっただろう。
ハードロックバンドらしからぬ、メンバー達の柔和で穏やかな印象。それがまた日本のファンを惹きつけた。
しかし同時に、どこか、壊れてしまいそうなはかなさを、再結成後も常に漂わせていた。
それは多分、全員が明るく振る舞いつつも、微妙な人間関係のバランスを保ちながら活動している、かすかな緊張感が伝わっていたからだと思う。
Mr.Bigは実力者が集まったスーパーバンドとしてスタートした。
だからメンバーは、取り分け、ポール・ギルバートとビリー・シーンは、バンドが無くてもやることがいくらでもある。
エリック・マーティンもそうだ。
そんな中で、Mr.Bigというバンドの接着剤的な役割を果たしていたのがパット・トーピーだったのだろう、と今さら思う。
それどころか、「Mr.Big」とはパットのことであり、その彼のもとに他の3人が集まっていたのではないか、という気すらする。
現にMr.Bigというバンド名を付けたのはパットであり、アルバムタイトルの多くもパットが考えた。
多くのバンドは、ドラマーが脱退しても活動を続けるのだろうが、Mr.Bigがそうは行かなさそうなのは、そのドラマーこそがバンドの支柱だったからなのかもしれない。
活動を続けることが大儲けにつながるなら話は別だろうが、残念ながら、Mr.BigはGuns n' Rosesではない。
もうしばらくして、最後に解散ツアーだけやってMr.Bigは終焉を迎えるのかもしれないし、あるいは相応しいドラマーを見つけて、活動を継続するのかもしれない。
今の状態で、無理に新曲を作ってくれだの活動を再開してくれだのとは、思わない。
今それをやると、決定的な亀裂を生み兼ねないような気がするのだ。全員がもう少し落ち着いて、関係がうまく行くようになってからでいいと思う。
願いはもちろん、Mr.Bigのかつての笑顔、素晴らしい楽曲とパフォーマンス。
パットが居なくてもそれが起こり得るのだとしたら、それが一番の願い。
Defying Gravity(2017)。ここにこういう形でパットが参加していたことが、彼がいかに肝心な存在だったかを示しているように思う。