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みんな大好き、モータウン・サウンドの代表的アーティスト12選。


1960年代、アメリカ市場においてビートルズに渡り合っていたのはローリング・ストーンズではなく、モータウンのアーティスト達だった。
一瞬で聴き手の耳を奪う華やかなキャッチーさ、軽やかなリズムに滑らかなメロディ、清潔感のあるファッション。
ベリー・ゴーディ・ジュニアがデトロイトのウェスト・グランド・ブールヴァド2468番地に立ち上げたモータウンレコードは、名曲の数々を世に送り出し、栄華を極めた。

60年代〜70年代のモータウン黄金期、レーベルを代表したスター12人を振り返る。



マーヴィン・ゲイ

モータウンの男性シンガーを一人挙げろと言われれば、この人。
60年代中盤にはタミー・テレルとのデュエットで「Ain't No Mountain High Enough」などヒット曲を連発し大スターに。
しかしタミーは1967年、ステージ上でデュエット中、文字通り彼の腕の中で倒れる。脳腫瘍だった。
タミーが倒れたあと、それまでの大衆路線に疑問を持っていたマーヴィンは路線変更。
ベトナム戦争や貧困について歌った1971年の「What's Goin' On」はソウルミュージックが産んだ最高傑作の1つとなった。
1983年44歳の時、父親に射殺され生涯を閉じる。


スティーヴィー・ワンダー

言わずと知れた、ポップス史に名を残す天才。デビューからレーベルはモータウン一筋。ピアノ、ハーモニカ、ドラム、ベースなどを自らプレイするマルチプレイヤー。特にハーモニカとドラムは超一流(そもそも天才ハーモニカプレイヤーとして子供の頃声をかけられた)。ジャンルや時代の壁を超越した楽曲の数々を生み出し、世界中のミュージシャンからリスペクトを集めている。グラミー賞では最多の計22部門を受賞。


スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ

モータウンレーベル創立者の1人で、長く副社長も務めたスモーキー・ロビンソンのグループ。「You've Really Got a Hold on Me」「The Track of My Tears」などのヒットを放ち、ビートルズローリングストーンズにもカヴァーされる。ミラクルズ解散後は作曲家としてアーティストに楽曲を提供、ソロ活動でも活躍を続ける。ブラック・ミュージック界を代表する大御所として現在も活動中。


ザ・フォー・トップス

モータウンサウンドを確率したグループの1つ。リード・シンガーのリーヴァイ・スタップスは当時世界1のシンガーとも言われた。スタップスは2008年に亡くなった。1965年「I Can't Help Myself」、1966年「Reach Out, I'll Be There」で全米1位を獲得。オリジナルメンバー2人と、新メンバー2人で現在も活動を継続中。


ザ・テンプテーションズ

「My Girl」「Just My Imagination」などのヒット曲を出したモータウンを代表するグループ。別格のハーモニーや、スタイリッシュなファッションで人気を博した。写真をご覧の通り、メンバー全員超男前。R&B、ソウルミュージックの進化に多大な貢献をした。


ジャクソン・ファイブ

ご存知マイケル擁する兄弟グループ。1968年〜1975年までモータウンに在籍した。エピックレコードに移籍後はジャクソンズに改名。
デビューから「I Want You Back」「ABC」「The Love You Save」「I'll Be There」など全米1位を連発し、国を代表する人気グループに。黒人アイドルとして初めて白人に受け入れられた存在、ボーイズグループのパイオニアマイケル・ジャクソンを産んだグループとして後の音楽業界に多大な影響を残す。


ザ・スプリームズ

ダイアナ・ロス擁する女性トリオヴォーカルグループ。「Where Did Our Love Go」「You Can't Hurry Love」「Baby Love」など全米1位を連発。ダイアナ以外の2人も高い歌唱力を誇っていたのだが、途中からは事実上のダイアナ独裁体制に。1967年にはグループ名も「ダイアナ・ロス&ザ・スプリームズ」に改名。
おそらく多くの人に取って、モータウンのイメージというとこのグループなのではないだろうか。ミュージカル「ドリームガールズ」は彼女たちがモデルとなっている。


ザ・マーヴェレッツ

高校の合唱グループで結成、モータウン初の全米1位シングル「Please Mr.Postman」(1961年)で知られる。この曲はビートルズもカヴァーした。ガールズグループの先駆者であるが、後のザ・スプリームズ登場によって影が薄れてしまう。


グラディス・ナイト&ザ・ピップス

「ソウルの女帝」グラディス・ナイトが7才の時に兄弟、いとこと結成したグループ。モータウン時代は「I Heart it Through The Grape Vine」が全米2位のヒット。ブッダレーベル移籍後に全盛期を迎える。


タミー・テレル

10代でデビュー、ジェームズ・ブラウンのレーベルでリリースした「I Cried」がヒットするが、当時ジェームズ・ブラウンの愛人でもあったタミーは彼の虐待に耐えかね、レーベルを逃れる。
20才でモータウンに移籍し、「I Can't Believe You Love Me」などヒット曲を出すが、今度はテンプテーションズのデイヴィッド・ラフィンと愛人関係になり、別れ話のもつれからハンマーで頭を叩かれる。
その後マーヴィン・ゲイとのデュエット「Ain't No Mountain High Enough」などで一躍スターになるが、22才の時にステージ上で脳腫瘍で倒れる。手術後もマーヴィンとのデュエット「Ain't Nothing Like The Real Thing」などヒット曲を出すが、24才で亡くなった。
マーヴィンとの間に本当のロマンスは無かったが、信頼し合った最高のパートナーだったと言われる。


マーサ&ザ・ヴァンデラズ

マーサ・リーヴス擁する女性ヴォーカルグループ。「(Love is Like a)Heat Wave」、「Dancing in The Streets」のヒットで
知られる。後者はミック・ジャガーとディヴィッド・ボウイのデュエット・カヴァーでも有名。1972年に解散後、マーサはソロ活動に転向。


メアリー・ウェルズ

モータウンの女王として知られる、初期モータウンを代表する女性シンガー。
「My Guy」「You Beat Me to The Punch」がヒットを記録。


華やかで誰からも愛されるポップスサウンドで時代を築き、また音楽界における人種間の壁を取り除くことに貢献したモータウンのアーティスト達。その魅力的なサウンドスタイルは現代のミュージシャンにも多大な影響を与えている。
最高にポップで最高にキャッチーな、華やかさの結晶とも言える音楽に是非触れてみよう。