海外メディアが報じる日本

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2010年代に登場したロックバンド13選。


ロックは死んだ、と思っているだろうか。
だとしたら、殺り損ねたようだ。


2010年代にも多くの素晴らしいロックバンド達、本物の音楽を追求するロックバンド達が誕生した。
2020年になる前に、2010年代に登場した未来を担うロックバンド達を一旦おさらいしておこう。
日本語の詳しい紹介ページが無いバンドが多いので、気になるバンドが居たらまずはyoutubeで観てみるなりダウンロードしてみるなりしてみていただきたい。ベタベタとリンクは貼らない。


Starcrawler(スタークローラー

2018年デビュー、アメリカのパンクロックバンド。
ブラックサバス系統の重みのあるグルーヴィーなリフと、性急なパンクロックサウンドの融合、そして女性ヴォーカルのアロウ・デ・ワイルドのライブパフォーマンスにも定評あり。デ・ワイルドの存在感もあって、個人的にはプリテンダーズを少し彷彿とさせる。00年代のギターロック風でもある。来日公演はソールドアウトとなった、注目株。

個人的おすすめ曲
・She Get's Around
・I Love LA


The Struts(ザ・ストラッツ)

2016年デビュー。
劇的かつポップなメロディ展開、フレディー・マーキュリー、スティーブン・タイラーとも形容されるルーク・スピルの圧倒的な存在感。
2枚のアルバムはいずれも非常に完成度が高い。
シングル化されていないが絶賛される「Fire」などは現代版の「Don't Stop Me Now」と言っていいほどの疾走感とドラマチックさ。
ただ、やや似たような曲調のポップロック曲が多く、もう少しバラエティが出ればより良いと思う。

個人的おすすめ曲
・Fire
・Could Have Been Me


Bishop Gunn(ビショップ・ガン)

2018年デビュー。
ブルースをベースにしたクラシックスタイルのロックバンド。
ラシックスタイル、以上にスライドギターとピアノをフィーチャーしたり、意図的にアメリカの郷愁を感じさせる音作りをしているように感じる。
と思ったらもろにツェッペリン風のサウンドだったりゴスペル風のサウンドだったりと結構バラエティに富んでいる。
強いて言えばRival Sonsと同系統かな、と思う。

個人的おすすめ曲
・Bank of The River
・Devil is a Woman


Dorothy(ドロシー)

2016年デビュー。
あくまでもドロシー・マーティンのヴォーカルにフィーチャーしつつも骨太なサウンド、ブルーズを基盤としつつも分かりやすいアンセム風のメロディ。
もっと重いサウンドだけど、シェリル・クロウに近いものを個人的には感じる。

個人的おすすめ曲
・Flawless
・Raise Hell


Tyler Bryant& The Shakedown(タイラー・ブライアント&ザ・シェイクダウン

2013年デビュー。こちらもブルーズとカントリーをベースにしたルーツロックバンド。ギタリストのグラハム・ウィットフォードはエアロスミスのブラッド・ウィットフォードの息子。キャッチーで則の良い曲も多い。サウンドはオーガニックで、ライブで見るべき、ライブを見てほしくてやってるバンドなのだと感じる。

個人的おすすめ曲
Heartland
・Lipstick Wonder Woman


The Damn Truth(ザ・ダム・トゥルース)

2010年デビュー。
グルーヴ強めのリフとリズムを軸に展開するロックンロールバンド。キャッチーでありつつも骨太なサウンドに、表現力豊かな女性ヴォーカルというのが新鮮。ノリの良さを前面に押し出している辺りが、ライブバンドとしてのプライドを感じさせる。

個人的オススメ曲
・Broken Blues
・Get With You


Greta Van Fleet(グレタ・ヴァン・フリート)

2017年デビュー。
2010年代最大の新人バンドと言っていいだろう。統一感のあるロックンロールサウンドでキャッチーなリフ、美しいバラード、アンセム風の曲など20才ちょっととは思えないソングライディングセンスとパフォーマンスで、すでにアメリカではアリーナクラスを満杯にするほどの人気を誇っている。

個人的オススメ曲
・When The Curtain Falls
・Flower Power


Deafheaven(デフヘブン)

デフヘブンの登場は革新的だった。ヴォーカルの特性からブラックメタル、と最初は位置づけられたが、実際には「ブラックメタルからも影響を受けたロックンロールバンド」だった。スラッシュメタル風の曲、オルタナ風、美メロなど曲調は多彩だが、いずれも聴きやすいということが共通項。新たなクロスオーバーにより誕生した、まさに新時代のロックサウンドだ。

個人的オススメ曲
・You Without End
・Dreamhouse


Scorpion Child(スコーピオン・チャイルド)

2013年デビュー。
Thin lizzyやIron Maiden譲り、と良く形容されるが、個人的にはRainbowに凄く近い音だと思う。レトロかつ重いリフに、プログレッシブさも少しあり、聴いているうちにクセになるスルメサウンド

個人的オススメ曲
・My Woman in Black
・Polygon of Eyes


Royal Blood(ロイヤル・ブラッド)

2014年デビュー。
2010年代イギリスでデビューしたバンドとして一番大きな成功を収めたのはこのRoyal Bloodだろう。WeezerMuseを彷彿とさせる知的なリズム感が魅力的。

個人的オススメ曲
・Figure it Out
・Little Monster


Joyous Wolf(ジョイアス・ウルフ)

2019年デビュー。
全ロックファンにオススメできるバンドの1つ。説明不要のキャッチーで豪快なリフとリズム、存在感のあるヴォーカル。10年後に聴いても間違いなくカッコいいと思える普遍的なビッグロックサウンドだ。

個人的オススメ曲
・Had Enough
・Quiet Heart


Sheer Mag(シアー・マグ)

2016年デビュー。
これは最高だ。HeartやRamonesなど、70年代のロックンロールやパンクを彷彿とさせるギターサウンドと、シンディ・ローパー風の一癖ある女性ヴォーカル。ギターメロディに少し哀愁が漂っているのもツボ。ビデオも面白い。

個人的オススメ曲
・Suffer Me
・Just Can't Get Enough


The Shelters(ザ・シェルターズ)

このバンドもエゲツないくらいカッコいい。2016年デビュー。
クラシックなロックンロールスタイルで、トム・ペティビートルズを思わせるギターサウンドとメロディ。日本受けするサウンドだと思うのだけど、どうだろう。聴いてみてほしい。

個人的オススメ
・Birdwatching
・Rebel Heart



時流はたしかにロックではないが、2010年代は決してロックに取って暗黒の時代ではなかった。
というより、今までとほぼ同じペースでバンドが現れ、同時に消えていった。
所詮ロックンロール。
流行りとは別次元のところで、いつの時代も誰かがガチャガチャと演奏し、誰かが聴くのだ。


「愛しのレイラ」のモデル、世紀のモテ女パティ・ボイドの物語。


18才の頃ロンドンでスカウトされたパティは、いくつかの雑誌でモデルとして働いた。
しかし彼女はひどい出っ歯だった。

現場のカメラマン達は言った。
「口を閉じてくれ!いったい、こんなネズミかウサギみたいなモデルを連れてきたのはどこの担当者だ?」

しかし彼女から滲み出る愛嬌の良さは読者から支持され、ヴォーグやマリー・クアントのモデルとして徐々に活動の場を広げていった。


1964年3月2日、彼女は映画「A Hard Day's Night(ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!)」の女子学生役としてロケに参加した。
この時、ジョージ・ハリスンがパティに一目惚れをし、デートを申し込む。
当時彼女は別の写真家と婚約寸前であったが、数日後に別れてジョージと交際を開始し、翌年のクリスマスに婚約をする。

この婚約でパティの知名度は爆発的に上がり、彼女は一気にトップモデルの仲間入りをする。


1973年、パティはロニー・ウッドフェイセズ、のちにローリング・ストーンズに加入)と浮気をし、ハリスンとの関係は徐々に悪化。1977年に離婚が成立する。


ジョージ・ハリスンがパティと結婚していた時、彼女に想いを寄せていたミュージシャンは他に3人いた。

ビートルズのバンドメンバー、ジョン・レノン
ローリング・ストーンズミック・ジャガー

そしてハリスンの親友でもあったエリック・クラプトン

クラプトンは、富、名声、そしてパティまでものにしていた親友のジョージに強い嫉妬心を抱いていた。

1970年、パティについて歌った「愛しのレイラ」を発表し、クラプトンは彼女に気持ちを伝えるが、フラれてしまう。
それから数年間に渡りパティを追い続け、ついにパティが折れる形で、ハリスンとの離婚が成立。パティはクラプトンと結婚した。

この出来事があったあとも、クラプトンとハリスンの友情は壊れることはなかった。


ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンはそれぞれ、パティへの想いを歌った曲を複数書いている。

ビートルズの「Something」、「I Need You」、「If I Needed Someone」、「Love You To」、「For You Blue」。
クラプトンは「愛しのレイラ」、「Wonderful Tonight」。


クラプトンのアルコールが原因で2人は1989年に離婚。現在パティは資産家のロッド・ウェストンと結婚し、写真家として活動している。



パティ・ボイド出演シーン、「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」

ボン・ジョヴィの名曲40曲ランキング(2021時点)

ボンジョビ」という名前は良く聴くし、イッツマイライフという曲も知っているし、「ウォ~⤴オ~⤴」みたいな曲、あれもボンジョビじゃない?
というくらいの人が世間的には多いかと思う。人の名前なんだかバンド名だかは良くわからんけどたまに東京ドームでやってるよね、というくらいの。
それで普通です。
ボン・ジョヴィというのはバンド名で、そのヴォーカリストジョン・ボン・ジョヴィだ。
84年にデビューした、れっきとしたハードロックバンド。
日本人に取っては洋楽の入門編的なアーティストでもある。なんでこれが入門なのかといえば、それはもうシンプルに聴きやすいからだ。メロディが分かりやすい。いや、実際にはボン・ジョヴィの音楽はけっこう奥が深いし、年を経るごとに深くなっていっているのだけど、いったんそれは置いておく。
何にせよ、このボン・ジョヴィなるバンドが死ぬほど売れまくってきた一番の理由はやっぱり分りやすさだ(と、見た目のインパクトだ)。
デビューしてすぐ、まず日本で人気が出た。「Runaway」の鮮烈なイントロ、大衆性(つまり、分かりやすさ)、ハードロックとしてのシビれるようなかっこ良さをまるっと兼ね備えたバンドが出現し、まず日本のファンは気づいた。これは凄そうだぞ、と。
真っ先にそのことに気づきラジオを通じて広めていったのは言わずもがな、伊藤政則氏。
そんなボン・ジョヴィが本当にビッグな存在になったのは86年。3枚目の「Slippery When Wet」からのシングル、「Livin' On A Prayer」と「You Give Love A Bad Name」が大ヒット。
当時、アメリカの若者はみんなMTVという音楽チャンネルを見ていた。上記の2曲のビデオはそこで繰り返し放送された。分かりやすくて爽快で、都会的で、それでいて見た目も最高というボン・ジョヴィは死ぬほど売れた。一気に世界最大のロックバンドの一つに上り詰めたのだ。
そんなボン・ジョヴィも、すでにデビューから35年以上。もうすぐ還暦バンドになりつつある。好きなバンドは、ライブを見ておいた方がいい。
見られる内に見といた方がいい。
聴いてみて、もし好きになったらコンサートに足を運んでほしい。
たぶん2022年以降になる。
ハードロック界が産んだ最大のスターにして偉大なソングライター、ボン・ジョヴィの名曲40曲をランキング化した。

40. Miss Fourth of July(2004)
2004年にリリースされた未発表曲集、「100.000.000 Bon Jovi Fans Can't be Wrong」収録。「1億人のファンが間違ってるははずがない」。そう、これはアルバム売上1億枚を記念してリリースされた未発表曲、つまりボツ集だ。なんとボツ曲が40曲以上収録されている。しかもいい曲ばかりだ。このバンドの作曲能力はそれはもう尋常じゃない。この曲など、普通のバンドならベストアルバムに入って当然の楽曲だ。


39. Shot Through The Heart(1984
1984年のデビュー作「夜明けのランナウェイ」収録。
デビューアルバムの頃のボン・ジョヴィは、ちょっとだけギラギラしていた。でもまわりの他の長髪バンド達と比べれば品行方正さがにじみ出てしまっている。下ネタを連発したり、ステージで酒を煽ったりパンツを脱いだりはしなかった。ハラハラするようなメロディ展開がカッコ良い名曲。のちの「Born To Be My Baby」につながるような曲調。
ちなみにこの当時ボン・ジョヴィのことを一番評価していたのは日本のロック・ファンだった。ボン・ジョヴィアメリカやヨーロッパより先に、日本で売れたバンドだったのだ。


38.Come on Up to Our House(2016)
「This House Is Not For Sale」の優しく締めくくる曲。ボン・ジョヴィのバラードと聴いてイメージする壮大さは無いが、優しい雰囲気に包まれた温かいバラードだ。ジョンが継続しているホームレスや恵まれない子どもたちへの支援活動のテーマソングとも捉えられる。


37. American Reckoning(2020)
最新作「2020」収録。さきほどボン・ジョヴィの音楽は深くなっておる、と申したのはここら辺を指している。2020年、アメリカではブラック・ライブス・マターなる人種差別反対運動が起きた。それに対するボン・ジョヴィなりの回答だ。
俺は白人で、高齢者で、大金持ち。ジョージ・フロイド(亡くなった黒人)の気持ちなんか、俺には分かる訳ないんだ、というメッセージ響く。善人ぶらないところが偉い。

「2020」のレビュー。


36.Stick to Your Guns(1988)
「New Jersey」収録のドラマチックなバラード。このアルバムを作ってた時は絶好調で、とにかく曲が書けて書けて仕方ない、という状態だったことが分かる。
だから2枚組にする予定だったのだが、なんやかんや多分レコード会社の意向で、1枚に無理やりぶち込んでいる。
全部名曲となるとアルバムとしては流れもへったくれもなく、要するにこの「New Jersey」というアルバムはめちゃくちゃ凄いのだけど、グチャグチャでもある。次から次にホームランバッターに出てくるような感じだ。


35.I'll Sleep When I'm Dead(1992)
「Keep The Faith」収録のヘヴィなパーティーロックチューン。この手の曲をボン・ジョヴィは定期的に書いているし、ライブで欠かさずにやっているところを見ると、多分好きなのだろう。


34.Any Other Day(2006)
「Lost Highway」収録。そもそもこのアルバムは、「Who Says You Can't Go Home」が予期せぬヒットになったので、「カントリー風の曲を何曲か出したらボロ儲け間違いなし」的に何曲か作ったら結構たくさん書けたので、もうこれがアルバムでいいか、という流れでリリースされた。だからアルバム全体が爽やかな青空カントリー調になっている。クセがない。スッキリいける爽快な名曲。


33.Story of My Life(2005)
「Have a Nice Day」の最後の曲。曲調はボン・ジョヴィらしい朗らかで少し哀愁のあるロックなのだが、歌詞がズバ抜けて良い。発売当時高校1年生だった僕はこれを聴いて、よし後悔しないよう毎日を充実させて生きよう、と思い、当時好きだった子に何の前触れもなく告白をしてしまった。告白というのはそういうものではない。
和訳した。↓チャンネル登録は別にしてもしなくても良い。

32.Hearts Breaken Even(1995)
「These Days」収録のバラード。ジャケットも茶色くてつまらないし、ジョンの髪型も中途半端だし、地味なイメージが強いアルバムなのだが、いい曲は多い。というかボン・ジョヴィのアルバムでいい曲がそこまで多くないアルバムは2ndくらいだ。あと2015年の「Burning Bridges」もいまいちなのだけど、あれはちょっと経緯があるのでいつか説明したい。地味アルバムの後半にもこんな名曲が転がっている、これがボン・ジョヴィのすごいところ。


31.All About Lovin' You(2002)
Bounce」収録のバラード。これも世間的には印象が薄いアルバムらしい。前作「Crush」のインパクトが強かったからなのだろうけど、これも発売当時は「よもや最高傑作か」と絶賛された実は名作である。捨て曲はほぼ無い。壮大なバラードで、ミュージック・ビデオもカッコいい。


30.Rollercoaster(2016)
「This House is Not For Sale」収録。このアルバムを最初聴いたとき、正直微妙だと僕は感じていた。曲自体はいいのだけど、サウンドにかなり違和感があった。声がだいぶ加工されてる感じで、その違和感は今もちょっとある(何曲か、自然なサウンドの曲もあるけど)。この曲もアルバム版を聴くと、なんだか機械的な感じがしてしまう。だけどライブ版はすごくいい。曲自体はスピード感あるアップテンポな名曲。


29.Never Say Goodbye(1986)
「Slippery When Wet」収録。80年代風というか、古臭いと言われればそれもそうなんだけど、そのベタさな結構日本人向きなんだと思わられる壮大なバラード。アルマゲドンの主題歌が好きですか。じゃあこれも好きです。歌詞もなかなかいい。
和訳した。↓


28.Pictures of You(2013)
「What About Now」収録。これもあまり評判よくないが、とてもいいアルバムです。古参ボン・ジョヴィファンの中には、アルバムの評価を「ハードロック度」で決めてしまう人たちがいるが、ボン・ジョヴィというのはそんな枠を大きく飛びぬけたところにいる存在なのである。このアルバムはハード・ロックではないかもしれないが、いい物はいい。壮大さ一辺倒ではない、ワザありの名バラード。


27.Wild in The Streets(1986)
「Slippery When Wet」を締めくくる疾走感あるロックチューン。「Slippery When Wet」とうのは日本では「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」というこの曲のタイトルが付けられて売られているアルバムで、「Livin' On A Prayer」やあのカップヌードルの曲が収録されている名盤だ。だいたいボン・ジョヴィの最高傑作というと、このアルバムが挙げられる(自分はCrushに一票を入れますが)。
80年代のハードロックらしい、華やかで爽やかですこし切なさもあるメロディの名曲。


26.Mystery Train(2000)
「Crush」収録。ご存知「イッツ・マイ・ライフ~我が人生~」が収録されているアルバムだ。そんな邦題はついていない。名作だ。
完成度でいえば、「New Jersey」かこの「Crush」が最高傑作。バラエティに富んでいるという意味ではこちらが勝ち。
聴きやすさ100点で、ポップありハードロックあり、あまり文句のつけどころが無い。
この曲はつむぐようなギターメロディが魅力的な哀愁漂うミッドテンポの名曲。


25.Right Side of Wrong(2002)
Bounce」収録。くり返す。地味だと思われてるアルバムの後半ですら名曲だらけなのがボン・ジョヴィの本当にすごいところだ。こちらは静かでありながらドラマチックなピアノバラード。冬に聴きたい。
和訳した。


24.Keep The Faith(1992)
「Keep The Faith」タイトルトラック。「キープ・ザ・フェイス」ってカトゥーンの?と思った人、君はまだ許そう。
カトゥーンのパクリじゃん、といったやつ、お前は許さない。
パクリも何も、「Keep The Faith」というのは一般的な表現であり、ではカトゥーンがボン・ジョヴィをパクったのかというと、別にそういうわけでも無いと思う。
ジョンがカラオケよろしくマラカスをシャカシャカするでお馴染みのノリの良いヘヴィなハードロックチューン。


23.This Ain't a Love Song(1995)
「These Days」収録の名バラード。多分、ライブも含めてジョンの歌声が一番安定してうまかったのがこの時代(1995年前後)。この年のウェンブリーのライブ映像は必見です。


22.When We Were Us(2018)
2018年、「Walls」とともにアルバム収録なしで単発でいきなり発表された(のちに「This House Is Not For Sale」デラックス版には収録されたが、正式にはアルバム収録曲ではない)。前作の「This House Is~」にはここまで完成度が高いロックチューンは無かったので、最初聴いた時はちょっとびっくりした。爽快なサビと哀愁のあるメロディ展開が絶妙。ジョンの声も改善されているし、アルバムに収録されなかったのがもったいない。


21.Edge of A Broken heart(2004)
ボツ曲集「100.000.000 Bon Jovi Fans Can't Be Wrong」収録。傑作「Slippery When Wet」を作っていた時に書いていた曲で、のちにジョンはこの曲をアルバムに収録しなかったことがミスだったと認めている。シングルカットされてれば普通にヒットしてたはずの蔵出し名曲。80年代ど真ん中のキラキラしたキーボード、やたら大きく響くギターサウンド、ああ、懐かしい!(90年生まれですが…)


20.Wild is The Wind(1988)
「New Jersey」収録。カッコいいアコースティックギターの音からだんだん盛り上がる超絶ロックバラード。このアルバムには4曲ほど名バラードが収録されているが、どれも圧倒的に完成度が高いので印象はかぶらない。「New Jersey」にはベストに必須の曲が3
〜4曲入っているのでこの曲は収録されないが、同クオリティ。


19.Bad Medicine(1988)
「New Jersey」収録のロックチューン。代表曲の一つで、日本でも昔サンヨーのcmで使われたりしていた。パーティロック的ではあるのだけど、そこらのバンドとは楽曲とコーラスの完成度が段違いだ。


18.These Days(1995)
「These Days」のタイトルトラック。長い曲なのだけど、展開が豊かで飽きさせない。最初のピアノの語りから終盤のギターソロまで、序盤中盤終盤、スキがないと思うよ。


17.Who Says You Can't Go Home(2005)
「Have a Nice Day」収録のカントリー調のロックチューン。2005年にアルバムが発売されたとき、まっ先に好きになったのがこの曲だった。気づけばカントリーロックチャートで全米1位、ベストアルバムにも収録され、ライブでも必須の曲になり、よくぞここまでビッグになってくれた、と感無量。アンセム風じゃないのに代表曲入りしているほぼ唯一のロックチューン。

こういう使われ方もする。和訳しといた↓


16.Have a Nice Day(2005)
「Have a Nice Day」タイトルトラック。このアルバムは日本でオリコン1位にもなり、35万枚と当時の洋楽としてはめちゃくちゃ売れた。「Livin' on A Prayer」「It's My Life」系のアンセム。この曲でボンジョヴィを知った、と言う人も結構いるはずだ。


15.Someday I'll Be Saturday Night(1996)
ベストアルバム「Cross Road」収録の、月曜日におふろをたいて火曜日におふろへ入り、的名曲。歌詞は似てるけどまったく違う。軽やかなメロディと、勇気をもらえる前向きな歌詞で、まじめに聴いてもらえれば、「It's My Life」級に日本ではウケるはずだと思われる名曲です。


14.Always(1996)
こちらもベストアルバム「Cross Road」収録。ボン・ジョヴィの一番有名なバラードだ。ベタ過ぎると言えばそうなのだけど、ヴォーカルが熱いので「出来過ぎ」感はあまりない。最近またライブでやるようになった。ジョンが声を絞り出しながら頑張ってる様子に、長いこと付き合ってるファンとしては胸をやられます。

この大合唱はなかなか伝説級。和訳↓


13.We Weren't Born To Follow(2009)
「The Circle」収録。ボン・ジョヴィ最後のハードロックアルバムとも言えるのがこの「The Circle」だ。特にこのオープニング曲は「Born To By My Baby」風の見事なアンセム。リッチーのギターソロも熱く、100点です。確かこのときMステにも出てた。


12.Runaway(1984
デビュー作「夜明けのランナウェイ」のタイトル曲。イントロがめちゃくちゃカッコいい。マサ・イトー氏がラジオでかけて、世界に先駆けて日本でブレイク。もともとジョン・ボン・ジョヴィを「歌手」としてデビューさせようとしていた時に録音した曲で、後ろで演奏しているのはバンドメンバーではないセッション・ミュージシャンたち。


11.Wanted Dead or Alive(1986)
「Slippery When Wet」収録。こちらも代表曲の一つ。なのだけど、いまいち印象が薄いのは、ボン・ジョヴィ風コーラスが無いから。実際、爽快感はそこまでない渋い曲だと思うのだが、目が覚めるような独特なメロディだ。僕は最初聴いた時、なんだかよく分からなかったが、名曲だと言われているので何度も聴いているうちにスルメ的に好きになっていった。一般的にはスルメソングとは多分捉えられていない。人によるんでしょう。なんだそりゃ、微妙なの?と聴かれれば、めちゃくちゃかっこいい。


10.Blood on Blood(1988)
「New Jersey」収録。ジャーン!ダン、ダン、ダダダン・・・のイントロだけで嗚呼あの感動がよみがえる。一時期、この曲がライブのオープニングを飾っていた。最高だった。一番コンサート映えする曲だと思う。名曲だけど、ベストアルバムからは外れがち。このアルバムから選ばれ過ぎてバランスが悪くなるからだ。でも「Lay Your Hands On Me」よりこっちじゃないだろうか。
モスクワ公演。これも伝説です↓


9.Just Older(2000)
「Crush」収録。それまでのボンジョヴィのロック曲とはちょっと変わった、ポップさも兼ね備えた爽快ロックチューン。以後はこの感じが定番となっている。「古くない、ちょっと年を取っただけ」。分かるような分からないような、なんだかいい歌詞です。


8.Dry County(1992)
「Keep The Faith」収録の10分に及ぶ大作。10分と長いから聞くときに身構えてしまうが、聴いてみるとちゃんとわかりやすいボンジョヴィ節のメロディ。少し異色なのが、展開の豊かさだ。静かなオープニングや終盤の超絶インストなど、これはハードロック好きはなかなか燃える曲だと思う。


7.Bed of Roses(1992)
「Keep The Faith」収録のバラード。これも長めだけど、とりあえずサビまで待ってちゃんと聴いてほしい名曲の名曲。


6.You Give Love a Bad Name(1986)
「Slippery When Wet」収録のカップヌードルチューン。あれ、誰が歌ってたんだろう。声が似てて不思議でした。邦題「禁じられた愛」。最もよく知られる曲の一つで、80年代のロックシーンを代表する曲の一つでもある。この曲のビデオが、ボンジョヴィの世界での人気に火を付けた。


5.I'll Be There For You(1988)
ボンジョヴィのバラードと言えばやはりこの曲。リッチー・サンボラがいたときはライブでは彼が歌っていることがよくあった。メロディが美しく、ピュアで、完璧な名曲。終盤の「Wo~Wo~Wo~」のところは感涙。


4.Born To By My Baby(1988)
「New Jersey」収録。今はないのだが、かつてボン・ジョヴィのライブではステージ上に客が何人か入れる「Bon Jovi Bar」なるスペースが設置されていた。僕は2005年に一度だけ、10分だけ、ここに入れたことがあり、その時演奏してたのがこの曲だった。だから思い入れも深い。緊張感の途絶えない鮮烈なメロディ展開、美しいコーラスと、ボンジョヴィロックチューンの最高傑作の1つ。


3.It's My Life(2000)
「Crush」収録。チャート上の数字以上に、この曲がシーンに与えたインパクトは大きかった。ボンジョヴィを2期に分けるとすればこの曲以前と以後、とすら言っていいと思う。
90年代、やや落ち着き気味の印象だったバンドの完全復活を決定付けた。登場人物のトミーとジーナは「Livin' on a Prayer」の登場人物でもあり、「Livin' on a Prayer」の続編とも捉えることができる。ここぞというところで決定的な曲を出せるあたりも、ボンジョヴィのすごいところ。


2.Livin' On a Prayer(1986)
「Slippery When Wet」収録。当初ジョンはこの曲が出来上がった時、「悪くはない」程度に思って、本当にサントラに提供しようと動いたが、ほかのメンバーに止められて事なきを得たらしい。ボンジョヴィの楽曲が伝えるメッセージが今でもそうであるように、労働者階級側からのアンセムであり、明らかに他の80年代バンド(Van Halen、Motley Crueなど)のパーティーロックやグラムメタルとは一線を画した名曲。


1.In These Arms(1992)
曲の完成度で見たとき、ボンジョヴィの最高傑作はこの曲だと個人的には思う。感動的なメロディとコーラス、ジョンの見事なヴォーカル。強力なベースラインとドラミングが印象的で、バラードではない。実はディヴィッド・ブライアン作。


2018年にはロックの殿堂入りも果たし、ありとあらゆる栄誉、名声を手にしたボン・ジョヴィ。もともとボン・ジョヴィというバンドはヴォーカリストジョン・ボン・ジョヴィをスターとして売り出すためのバックバンドで、数週間で終わるはずのプロジェクトだった。
それがほぼ同じメンバーで35年続いているという状態なのだ。リッチーが抜けたのはほんあに痛いが、これは致しかたない。
ジョンに言わせれば、「バンドに所属するというのは無期懲役ではない。」

愚直なまでにコンサートと創作活動を続ける彼らは、昨年最新作「2020」をリリース。
パンデミック、人種差別、貧富の拡大…。
世界中の苦しむ人々に向けて恩返しを始めたボン・ジョヴィ
誰になんと言われようと前を見据え続けるバンドがこれまで生み出してきた名曲の数々に、改めて触れてみよう。


不思議なゴリラ、「ココ」を振り返る。


2014年8月、俳優のロビン・ウィリアムズが亡くなった時、悲しんだのは人間だけではなかった。
カリフォルニア州ゴリラ・ファウンデーション保護センターのゴリラ「ココ」も、知らせを聞いて悲しんでいた。

ココは、死という概念を理解していた。

彼女は手話ができた。

彼女に手話を覚えさせた飼育員のペニー・パターソンがココに尋ねた。

このぬいぐるみは、生きている?死んでいる?

ココは答えた。
「死んでいる。」

ゴリラは死ぬ時に、どう感じる?

「眠る。」

ゴリラは、死ぬとどこに行くの?

「苦痛の無い穴に、さようなら。」


ココはペットを飼っていた。
彼女が12才の時に、猫を与えられた。

飼育員は最初、ココが猫を殺めてしまうのではないか、警戒していた。

しかしココは、まるで人間が猫を飼うかのように、その猫を可愛いがった。
彼女は猫を、「オール・ボール」と名付けた。

潰したりしてしまわないよう、優しく体を撫で、抱き寄せた。
この様子はナショナル・ジオグラフィック誌に特集され、ココは「手話を使い、ペットを飼うゴリラ」として一躍有名になった。

1985年、猫のオール・ボールは車に轢かれて死んだ。

パターソンはココに伝えた。

「オールボールは死んでしまった。」

ココは10分ほどうつむいてから、声を上げて泣き出した。
しばらくして落ち着いたあと、手話でこう言った。

「猫。眠れ。」



2001年には子供の頃から一緒に育ったゴリラのマイケルが死ぬ。

半年間、うつむいたままだったココのもとにやってきたのは、俳優のロビン・ウィリアムズ

ココは彼と仲良くなり、ウィリアムズのメガネや財布で遊んだり、くすぐり合ったりした。
半年ぶりに、ココは笑顔を見せた。

ロビン・ウィリアムズは振り返る。

僕らは素晴らしいものを分かち合った。
笑うことだ。
ココは、日常のこと、生きること、愛すること、死ぬことについて気持ちを手話で伝えてくれる。
忘れられない経験だ。



2014年、ロビン・ウィリアムズの訃報を聞いたココはまた塞ぎこむ。
手話で一言だけ伝えた。

「泣いている。」


ココにまつわるエピソードには、いくつか明らかな誇張も含まれている。

例えば、「ココは地球環境保護を人類に警鐘している」といったキャンペーンは、やり過ぎ。
人類がアフリカで何をしているかなどココは知らなかった。

だからと言ってココにまつわるエピソードが全部でっち上げだというのも、また言い過ぎだ。


ココは手話で実際に話をしたし、猫を愛し、親しい者が死ねば悲しんだ。
これだけで充分。

ゴリラは凶暴。

このイメージが間違いだったことをココは証明してみせた。
2018年、ココは46才で死んだ。


フィル・コリンズの名曲10選。


5大プログレバンドの1つ、ジェネシスのドラム&ヴォーカルとして活動後、ソロでさらなる成功を収めたフィル・コリンズ。CD売り上げは1億5000万枚以上、80年代〜90年代にかけては世界で1番忙しい男とすら言われた。
ただの80年代ポップスター、と思われがちだが、彼はサウンドプロダクションの革新をもたらした先鋭的なアーティストであった。
フィル・コリンズのソロ時代から、名曲10曲をチョイス。彼の天才性を改めて味わってみよう。


1.Easy Lover(1984
フィル・コリンズと言えばこの曲、という印象も強いが、アルバムとしてはEarth, Wind&Fireのフィリップ・ベイリーの「Chinese Wall」に収録されている。このアルバムのプロデューサーを任されていたフィル・コリンズが、ベイリーと共作した。
適度な緊張感を持続しながら展開していくダンサブルなソウル曲で、曲の素晴らしさを際立ているのが全員の演奏。
シンプルながら思いリフを刻むダリル・スティーマーのギターとネーザン・イーストのベース、適度にオーガニックなフィル・コリンズのドラムが生み出す見事なサウンド
シンプルなメロディなのに、何万回も聴いていられる。


2.Son of Man(1999)
ディズニー映画「ターザン」の挿入曲。
ターザンのサントラは基本的にフィル・コリンズマーク・マンシーナの共作。
その中で一番フィル・コリンズ色が強いのがこの曲じゃないかと思う。
サントラに入ってるのが勿体ないくらい素晴らしい曲。
爽快な疾走感のあるメロディとコーラス、そしてまたフィル・コリンズの見事なドラム。フィル・コリンズが超一流のドラマーであることを改めて実感させられるサウンドだ。


3.Two Hearts(1988)
映画「バスター」のサントラ収録。作曲はフィラモント・ドジャー、作詞がフィル・コリンズが作詞。
アメリカ、カナダ、日本で1位を記録した。
フィル・コリンズの源流の1つと言えるモータウンサウンドなソウルポップ。
フィル・コリンズのドラム、キーボードも完璧。


4.Another Day in Paradise(1989)
ソロ時代のフィル・コリンズを象徴する曲の1つ。
フィル・コリンズは明るく朗らかな曲が多いが、これはホームレスについて歌った社会派の曲。
今君が過ごしているパラダイスの様な1日。
同じ日に、それとは全く異なる1日が存在していることを忘れるな。
よく考えろ。
という歌詞。
曲の軸となる、明るいとは言えないキーボードのフレーズが何と言っても印象的。


5.Against All Odds(Take a Look at Me Now)(1984
フィル・コリンズ最大のヒット曲となったパワーバラード。フィル・コリンズのソングライターとしての実力を知らされる名曲。
映画「カリブの熱い夜」の主題歌だけど、映画よりこの曲の方が有名。のちにマライア・キャリーやウェストライフがカヴァーして、それもヒットした。


6.In The Air Tonight(1981)
フィル・コリンズのソロ活動最初のシングルとなった曲。
メロディは超シンプルだけど、凄いのはサウンド。後半からのドラムブレイクは史上最高と言われている。
何かが始まりそうな、ミステリアスな雰囲気が感じられるサウンドプロダクションは、のちのポップミュージックに大きな影響を与えた。
こういう曲は日本ではあまり受けないのかもしれないけど、音楽好きにとってはきっと味わい深いと思う。


7.Sussudio(1985)
サウンドプロダクションにおいてフィル・コリンズはプリンスに近い感性、天才性を持っているような気がするのだけど、この曲のサウンドはプリンスそっくり。ドラムマシンで遊んでたら思いついたらしい。ホルンの入り方もカッコいい。
ノリが非常によく、いかにも80年代な曲。
PVもいい雰囲気なのだけど、本人がめちゃくちゃハゲている。


8.Don't Lose My Number(1985)
歌詞が外部ライターによるもので、フィル・コリンズはその意味をつかみきれなかった。
そのためPVもどういうテーマにすれば良いか分からず、「どういうPVするかを決める過程と、色んなPVのパロディをフィルが演じる」というPVに仕上がった。結果は最高。
曲も疾走感があり素晴らしい。
シンセサイザーやドラムの多様を批判する評論家も多いが、「天才がそれを何を使うと何が出来るか」をフィル・コリンズは示したと思う。


9.One More Night(1984
全米1位になったAOR風のバラード。
「軟弱だ」と批判されがちだけど、そんなことはない。見事な表現力を持ったフィル・コリンズのヴォーカルと、ソウルフルに入ってくるサックスが素晴らしい。コテコテのドラムマシンのサウンドを味があっていい。


10.You'll Be In My Heart(1999)
映画「ターザン」の主題歌にして、フィル・コリンズの代表曲の1つとなった優しく勇敢なバラード。シンプルな構成とメロディに、かすかにジャングルを感じさせるリズム。フィル・コリンズのソングライティングの結晶のような曲。



80年代〜90年代を通じて、サウンドに革新をもたらしつつ、それをポップミュージックの枠内で成立させた天才フィル・コリンズ。作曲センスはもちろんのこと、彼のドラムの能力やプロデューススキルは見過ごされがち。
曲のメロディは何となく知っていても、改めて音を良く聴いてみよう。
フィル・コリンズの天才性が感じられるはず。


現在療養明けで、体の動きはご覧の状態。しかしインタビューなど見る限り、声には張りがあるし、ジョークをガンガン飛ばしたり、気力はまだまだ健在の様子。


みんな大好き、モータウン・サウンドの代表的アーティスト12選。


1960年代、アメリカ市場においてビートルズに渡り合っていたのはローリング・ストーンズではなく、モータウンのアーティスト達だった。
一瞬で聴き手の耳を奪う華やかなキャッチーさ、軽やかなリズムに滑らかなメロディ、清潔感のあるファッション。
ベリー・ゴーディ・ジュニアがデトロイトのウェスト・グランド・ブールヴァド2468番地に立ち上げたモータウンレコードは、名曲の数々を世に送り出し、栄華を極めた。

60年代〜70年代のモータウン黄金期、レーベルを代表したスター12人を振り返る。



マーヴィン・ゲイ

モータウンの男性シンガーを一人挙げろと言われれば、この人。
60年代中盤にはタミー・テレルとのデュエットで「Ain't No Mountain High Enough」などヒット曲を連発し大スターに。
しかしタミーは1967年、ステージ上でデュエット中、文字通り彼の腕の中で倒れる。脳腫瘍だった。
タミーが倒れたあと、それまでの大衆路線に疑問を持っていたマーヴィンは路線変更。
ベトナム戦争や貧困について歌った1971年の「What's Goin' On」はソウルミュージックが産んだ最高傑作の1つとなった。
1983年44歳の時、父親に射殺され生涯を閉じる。


スティーヴィー・ワンダー

言わずと知れた、ポップス史に名を残す天才。デビューからレーベルはモータウン一筋。ピアノ、ハーモニカ、ドラム、ベースなどを自らプレイするマルチプレイヤー。特にハーモニカとドラムは超一流(そもそも天才ハーモニカプレイヤーとして子供の頃声をかけられた)。ジャンルや時代の壁を超越した楽曲の数々を生み出し、世界中のミュージシャンからリスペクトを集めている。グラミー賞では最多の計22部門を受賞。


スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ

モータウンレーベル創立者の1人で、長く副社長も務めたスモーキー・ロビンソンのグループ。「You've Really Got a Hold on Me」「The Track of My Tears」などのヒットを放ち、ビートルズローリングストーンズにもカヴァーされる。ミラクルズ解散後は作曲家としてアーティストに楽曲を提供、ソロ活動でも活躍を続ける。ブラック・ミュージック界を代表する大御所として現在も活動中。


ザ・フォー・トップス

モータウンサウンドを確率したグループの1つ。リード・シンガーのリーヴァイ・スタップスは当時世界1のシンガーとも言われた。スタップスは2008年に亡くなった。1965年「I Can't Help Myself」、1966年「Reach Out, I'll Be There」で全米1位を獲得。オリジナルメンバー2人と、新メンバー2人で現在も活動を継続中。


ザ・テンプテーションズ

「My Girl」「Just My Imagination」などのヒット曲を出したモータウンを代表するグループ。別格のハーモニーや、スタイリッシュなファッションで人気を博した。写真をご覧の通り、メンバー全員超男前。R&B、ソウルミュージックの進化に多大な貢献をした。


ジャクソン・ファイブ

ご存知マイケル擁する兄弟グループ。1968年〜1975年までモータウンに在籍した。エピックレコードに移籍後はジャクソンズに改名。
デビューから「I Want You Back」「ABC」「The Love You Save」「I'll Be There」など全米1位を連発し、国を代表する人気グループに。黒人アイドルとして初めて白人に受け入れられた存在、ボーイズグループのパイオニアマイケル・ジャクソンを産んだグループとして後の音楽業界に多大な影響を残す。


ザ・スプリームズ

ダイアナ・ロス擁する女性トリオヴォーカルグループ。「Where Did Our Love Go」「You Can't Hurry Love」「Baby Love」など全米1位を連発。ダイアナ以外の2人も高い歌唱力を誇っていたのだが、途中からは事実上のダイアナ独裁体制に。1967年にはグループ名も「ダイアナ・ロス&ザ・スプリームズ」に改名。
おそらく多くの人に取って、モータウンのイメージというとこのグループなのではないだろうか。ミュージカル「ドリームガールズ」は彼女たちがモデルとなっている。


ザ・マーヴェレッツ

高校の合唱グループで結成、モータウン初の全米1位シングル「Please Mr.Postman」(1961年)で知られる。この曲はビートルズもカヴァーした。ガールズグループの先駆者であるが、後のザ・スプリームズ登場によって影が薄れてしまう。


グラディス・ナイト&ザ・ピップス

「ソウルの女帝」グラディス・ナイトが7才の時に兄弟、いとこと結成したグループ。モータウン時代は「I Heart it Through The Grape Vine」が全米2位のヒット。ブッダレーベル移籍後に全盛期を迎える。


タミー・テレル

10代でデビュー、ジェームズ・ブラウンのレーベルでリリースした「I Cried」がヒットするが、当時ジェームズ・ブラウンの愛人でもあったタミーは彼の虐待に耐えかね、レーベルを逃れる。
20才でモータウンに移籍し、「I Can't Believe You Love Me」などヒット曲を出すが、今度はテンプテーションズのデイヴィッド・ラフィンと愛人関係になり、別れ話のもつれからハンマーで頭を叩かれる。
その後マーヴィン・ゲイとのデュエット「Ain't No Mountain High Enough」などで一躍スターになるが、22才の時にステージ上で脳腫瘍で倒れる。手術後もマーヴィンとのデュエット「Ain't Nothing Like The Real Thing」などヒット曲を出すが、24才で亡くなった。
マーヴィンとの間に本当のロマンスは無かったが、信頼し合った最高のパートナーだったと言われる。


マーサ&ザ・ヴァンデラズ

マーサ・リーヴス擁する女性ヴォーカルグループ。「(Love is Like a)Heat Wave」、「Dancing in The Streets」のヒットで
知られる。後者はミック・ジャガーとディヴィッド・ボウイのデュエット・カヴァーでも有名。1972年に解散後、マーサはソロ活動に転向。


メアリー・ウェルズ

モータウンの女王として知られる、初期モータウンを代表する女性シンガー。
「My Guy」「You Beat Me to The Punch」がヒットを記録。


華やかで誰からも愛されるポップスサウンドで時代を築き、また音楽界における人種間の壁を取り除くことに貢献したモータウンのアーティスト達。その魅力的なサウンドスタイルは現代のミュージシャンにも多大な影響を与えている。
最高にポップで最高にキャッチーな、華やかさの結晶とも言える音楽に是非触れてみよう。



伝説的ライブハウス「ウィスキー・ア・ゴーゴー」の歴史。


日本武道館が開館した1964年、アメリカでも音楽の歴史の現場となるコンサート会場がオープンした。
ただしこっちはキャパシティ500人の小さな小屋。

ハリウッドのサンセット大通りとノースクラーク通りの交差点の角にオープンしたこの施設はWhiskey a Go Go(ウィスキー・ア・ゴーゴー)と名付けられた。
ウィスキーは、当時流行していたゴーゴーダンスを踊るディスコハウスとしてオープンしたが、ステージも備え付けられ、アーティストがライブを行うこともできた。
こけら落とし公演は、ジョニー・リバースが行った。
L.Aのロックの歴史はここから幕を開ける。



オープン公演



オープン当初の店内


オープンから2年後の1966年、オーティス・レディングがウィスキーでライブアルバムを収録。さらにザ・ミラクルズの「Going to a Go-Go」がヒットし、ウィスキー・ア・ゴーゴーの名はアメリカ中に知れ渡った。


しかし同じ年、サンセット大通りで暴動が起こった。
ロックカルチャーの発信地となったサンセット大通りの治安が悪化したとして、警察は取り締まりにかかった。

カルチャーの拠点であったウィスキー・ア・ゴーゴーがターゲットにされた。

警察はウィスキーのオーナーに警告する。

酒や、いかがわしいダンスの名前が入っている施設は治安に悪影響だ。「Whisk(ウィスク)」にでも改名しなさい。

また警察は夜10時以降の通行規制を発動しようとするが、若者はこれに反発する。

「それじゃあライブや飲み会も出来ないじゃないか。俺たちの権利を侵害するつもりか。」

11月12日には1000人に及ぶデモ抗議をサンセット大通りで行ったが、結局いくつかのナイトクラブは閉鎖に追い込まれた。
ウィスキー・ア・ゴーゴーの改名は何とか免れた。

この事件はロックカルチャーの発信地としてのサンセット大通りの存在をより強固なものとした。



サンセット大通り暴動


ウィスキー・ア・ゴーゴーはロックバンドの登竜門となり、若き日のジミ・ヘンドリックスビーチ・ボーイズ、ザ・ドアーズ、ピンク・フロイドアリス・クーパーレッド・ツェッペリンフランク・ザッパAC/DCラモーンズグレイトフルデッド、イギーポップ、ガンズ・アンド・ローゼズ、キッス、ヴァン・ヘイレンモトリークルー、オアシス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ブロンディ、エミネムリンキン・パークなど幾多のアーティストがこの500人しか入らない小さなライブハウスでコンサートを行ってきた。

新木場スタジオコーストZeppダイバーシティのキャパがそれぞれ2400人と言えば、500人がいかに小規模かは分かってもらえるだろう。


フランク・ザッパは、ここでのライブがきっかけで初のレコード契約を勝ち取った。
メタリカはこの場所で、クリフ・バートンに声をかけ加入を決定した。
ハードロックの歴史を変えたガンズ・アンド・ローゼズWelcome to The Jungle」のビデオはここで撮影された。
ウィスキー・ア・ゴーゴーは、世界1有名なライブハウスとなった。

2006年、世界のロック・カルチャーのランドマークであり続けてきたウィスキー・ア・ゴーゴーは、コンサート会場として唯一ロックの殿堂入りを果たした。

オープンから55年経った現在も、同じ一角で運営を続けている。




ブロンディ、ウィスキー公演



ビートルズのメンバー、店内のバースペース





現在。ハリウッドに行った際は是非立ち寄ってみよう。



ガンズ・アンド・ローゼズWelcome to The Jungle」。ウィスキー・ア・ゴーゴー店内と、その周辺の道路や店頭で撮影された。