彼は農家で生まれ育った。
ある日武士が、渋沢家にやってきた。
「おい、五百両をよこせ。」
栄一の父親は答えた。
「どうしてですか?我々は年貢をちゃんと収めているではありませんか。」
武士は言った。
「お前は誰のおかげで生きていられると思うんだ?お上のおかげだろう?お上が金が足りないと言うんだから、よこすのが道理だろう。」
武士に五百両もの大金を奪われ、母親は涙を流した。
この一部始終を栄一少年は見ていた。
「汗をかいて貯めたお金が巻き上げられる。こんなことが、許されるはずがない。」
15年後、彼はフランスにいた。
幕府からパリ万博を視察するという命を受け、仲間とともにフランスに派遣されていた。
「なんて文明化された街なんだ…。どうやってこんなすごい街を作ることが出来るんだ?」
パリの街並みに圧倒されている彼に声をかけたのは、フリュリ・エラールというフランス人。
「渋沢さん、この国には仕組みがあるのです。それは、株式会社という仕組みです。」
「株式会社。いったいそれは何ですか?」
「例えば、建物を建てる時に、人々がお金を出し合って、会社を作ります。そして建物が完成してお金が入ってきたら、それを最初にお金を出した人に分配する。これが株式会社です。この仕組みが、フランスを繁栄に導いたのです。」
渋沢は衝撃を受けた。
彼の脳裏には、武士から五百両を巻き上げられて泣いていた母親の顔が蘇った。
庶民が金を巻き上げられるような時代は、もうおしまいだ。
みんなでお金を出し合って、みんなが分け前を貰うことが出来る世の中にするんだ。
彼はパリの街角で武者震いをした。
お上にやってもらうんじゃない。自分たちで事業をやる。そうなれば競争が生まれ、技術だって上がる。
日本に戻った渋沢は日本で初となる株式会社、第一国立銀行を設立した。その後も紡績、海運、鉄道など、500以上の会社の設立に携わった。もくろみ通り、それらの会社は切磋琢磨し、日本は世界を代表する先進国の一つにまでなった。