海外メディアが報じる日本

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シネイド・オコナーの戦い。



彼女は、壮絶な人生を歩んできた。

全米に生中継された音楽番組で彼女は、アカペラで曲を歌い終えたあと、あろうことかカメラの目の前でローマ法皇の写真を破り捨ててみせる。
そしてこう言った。

「本当の敵と戦いなさい。」

想定外の事態に、周りのスタッフ達は静まり返った。


その10日後、ボブ・ディランの30周年コンサートに彼女は参加する。
クリス・クリストファーソンが彼女を紹介し、ステージに上げた。
「彼女を紹介できることを誇らしく思います。彼女の名前は、勇気、そして誠実さと同義になったと言えるでしょう。」

しかし、ステージに上がった彼女を待っていたのは18000人の観客からのブーイングの嵐だった。

鳴り止まない野次にショックを受けた彼女は、ステージ上で立ち尽くす。
ピアニストが前奏を始めたが、彼女は腕を振り払い演奏を止めさせる。
クリストファーソンが彼女に近づき、ささやいた。
「馬鹿者どもに負かされるな。」

彼女はアカペラで歌い出した。
その曲は、2週間前にテレビで歌ったのと同じ曲、ボブマーリーの「War」。
歌い終わると、彼女は泣き崩れた。
このコンサートのライブアルバムに、彼女の歌声が収録されることはなかった。

この時彼女は、26才だった。


彼女は1966年、ダブリン生まれ。

幼少時代、母親から虐待を受けた。
その後両親は離婚し、万引きをはたらいた彼女は修道院に預けられた。

マグダリン修道院と呼ばれたその場所で彼女は監禁され、過酷な労働と虐待を強いられる地獄の18ヶ月間を過ごす。
この修道院の実態はのちに暴かれ、1996年に閉鎖される。

修道院を出たあと、彼女は歌唱力を見出され、音楽の道を歩んだ。
1990年、彼女の最大のヒットとなる曲を提供したのはプリンスだった。
頭を丸坊主にした女が熱唱するインパクトのあるビデオも功を奏し、曲は全米1位を記録する。

そして1992年、冒頭の事件が起きる。

彼女は世界中から非難を浴びることになる。

しかし2000年頃から、カトリック教会の闇は世界的に次々と暴かれていくことになる。

2018年12月、ペンシルベニア州のジョシュ・シャピロ司法長官はある報告書を発表した。
1000ページに渡る報告書の内容は恐るべきもの。
1000人以上の未成年の被害者と、300人以上の神父による確実性の高い疑惑。

まだ決着を見ていないが、現教皇はこの対応に追われている。


1992年、彼女が歌った「War」の歌詞。
勝利に自信を持っている。
善きものは、悪しきものに打ち勝つ。

シネイド・オコナーの戦いは、まだ続いている。


本当の敵と戦いなさい


ボブ・ディラン30周年コンサート