海外メディアが報じる日本

海外メディアが日本の出来事をどう報じているか?解説付きで日々お届けします

ジェーン・バーキン講談


その女はロンドンで生まれた。
母親は有名な舞台女優、父親は第二次世界大戦で活動したイギリス軍のスパイだった。

ワイト島の学校に通っていた彼女は、17才の時にジョン・バリーという男と出会った。
彼は007の楽曲を手がける著名な作曲家。
2人は恋に落ち、結婚をし、子供を1人産んたが、3年で離婚をした。

女はロンドンに戻り、たくさんのオーディションを受け、無名の女優として活動を開始した。

鳴かず飛ばずのまま4年が経ったとき、彼女の運命を変えたのは「スローガン」という映画だった。
この映画で共演した相手役と彼女は意気投合し、生活と音楽活動をともにするようになる。

彼が曲を書き、彼女も歌手として参加した最初のシングル曲はフランスで大ヒットとなった。
しかし、「ため息が卑猥すぎる」としてイギリス、イタリア、スペインでは放送禁止となってしまった。
このヒット曲以来、彼女は女優として、また歌手としてフランスの国民的スターとなっていく。
男もまた、フランスを代表する作曲家として名を馳せた。

ある日女はシャルル・ド・ゴール空港からヒースロー行きの飛行機に乗った。

頭上の棚に、愛用していた藤編みのカゴを入れようとした時、落として中身を全部ぶちまけてしまった。

隣に座っていた男はそれを拾うのを一緒に手伝い、彼女にこう言った。

「口の閉じたカバンをお使いになればいいじゃありませんか。」

彼女は怒ったように返した。

「私は気に入ったものを何でもポンポン放り込みたい。そんなカバンは売ってないでしょ。だからこのカゴがいいんです。」

男は言った。

「私はパリでしがないカバン屋をやっています。あなたにぴったりのバッグを私が作ってみましょう。」

すると男は、前の座席に付いていたエチケット袋を取り、その裏にデザインを描き出した。

「こんなのはどうでしょう?」

男の名はジャン・ルイ・デュマ。
当時のエルメスの社長だった。

2年後、エルメスはそのバッグを正式に発売する。
バッグには、製作のきっかけとなった女の名前を付けた。

今やステータスのシンボルとなったバッグの名前は、「バーキン」。
女の名は、ジェーン・バーキン