海外メディアが報じる日本

海外メディアが日本の出来事をどう報じているか?解説付きで日々お届けします

ロック界のLGBTヒーロー達15人。


ロックカルチャーは、もともと「既成概念への対抗」や「自由の信奉」といった、どちらかというとリベラル寄りのイデオロギーを含有している。
つまり、成り立ちからしLGBT権利拡大との親和性が高い。
アーティスト達がLGBTであるかどうか、というのは、彼らの音楽を前にすれば取るに足らない問題だ。
しかし一方、彼らのカミングアウトや発言は、LGBTのみならず、多くのマイノリティに勇気を与えてくれる。

ここでは、社会の少数者に勇気を与えてくれるロック界のヒーロー達を紹介する。



エルトン・ジョン

1970年代にバイセクシュアルであると公言し、その約10年後にゲイであることをカミングアウト。2005年に男性の恋人と結婚している。


ロブ・ハルフォード

周知の事実ではあったものの、90年代にゲイをカミングアウト。LGBTのメタルファンに大きな勇気を与えている。


ジー・ヘイル

Halestormのヴォーカル&ギター。2014年にバイセクシュアルであることをカミングアウトした。


デイヴィッド・ボウイ

1972年にゲイをカミングアウト、1976年にバイセクシュアルをカミングアウト、その後ストレートなど、実際のところどうだったのかは分からない。自身にキャラクター性を持たせる為の発言とも思われるが、彼が実際にどうだったか、ということより、とにかく彼がLGBTの肯定を主張していた、という事実が肝心。


フレディー・マーキュリー

ボヘミアン・ラプソディ」でもご覧の通り、1984年から亡くなるまでジム・ハットンと交際した。ジムはフレディが命を落とす時までそばに寄り添っていた。またジムはフレディによると思われるHIVに感染したが、心配をかけたくないが為、そのことを口外していなかった。フレディの死は、LGBTの認知に大きな影響を与えた。


ジャニス・ジョップリン

時代もあり(1960年代)カミングアウトはしなかったが、複数の男性や女性と自由な交際をしていた。


ボーイ・ジョージ

カルチャー・クラブのヴォーカル。1985年からバイセクシュアルであることを公言。自伝やドキュメンタリー映画の中で、過去の恋愛経歴や、悩みなどを語っている。


ビリー・ジョー・アームストロング

Green Dayヴォーカル兼ギター。
1995年にバイセクシュアルを公言。
「バークリーやサンフランシスコに住んでると、人々は自身がゲイやバイセクシュアルやトランスジェンダーや、何にせよ、そのことをオープンに話す。ゲイの結婚が認められつつあり、それは全体の受容性に良い影響を与える。これは社会に取って、発見のプロセスでもある。僕も、何にだってチャレンジしていくつもりだ。」


モリッシー

ザ・スミスのヴォーカルとして知られる。
彼の性的嗜好は、長年に渡りイギリスのマスコミから好奇の的とされた。
「僕はゲイやバイといった言葉を使いたくはない。そういった人がポップカルチャーに存在しているのは重要なことだと思う。しかしそれらの単語は時として人を傷つけ、困惑させ、不幸にする。だからその言葉を使うことをやめにしたいんだ。」


デズモンド・チャイルド

Bon JoviAerosmith、Kissなどの数々の名曲を手掛けてきた名プロデューサー。男性と結婚し、養子として迎え入れた双子の息子を育て上げた。両腕に掘られている「Nyro」「Roman」は息子達の名前。


アダム・ランバート

オーディション番組「アメリカン・アイドル」でブレイク、現在Queenのフロントマンとしてツアーを行っている。
現代のLGBT権利拡大活動の旗振り役の一人であり、数多くのチャリティー活動を立ち上げている。
「僕を有名にしてくれたこの社会に大きな恩を感じている。この著名性を、善い行いに使うことで世の中に恩返しをする責任が僕にはある。」


リトル・リチャード

ロックンロールの創始者の一人。
子供の頃、言動が女の子っぽいことが理由で父親から嫌われ、友人からいじめにも合う。
「白人の女を追わない奴だと白人の男に理解してもらう為にも、必ず毎朝化粧をする。しかも化粧は自分をカラフルにしてくれるから一石二鳥だ。」
とはいえそのルックスから、女性人気は非常に高かった。


ルー・リード

The Velvet Undergroundのヴォーカル兼ギター。
1960年代に、バイセクシュアルを公言した最初のミュージシャンの一人。実際に彼がゲイであったのかどうかは不明ともされているが、1960年代において、彼の言動や歌詞で「ストレートじゃなくていいんだ」と多くのロックファンが勇気づけられた。


ジョージ・マイケル

Whamで有名になり、ソロでも活躍したイギリスの国民的シンガー。
多くの対エイズキャンペーン活動を行った。


ピンク

LGBT以外にも動物愛護、子供の保護など多くのキャンペーン活動に参加している。
自身の性的嗜好については「定義していない。その必要性を感じない」としている。


世界中に広がりつつあるLGBTの権利拡大運動だが、道はまだ半ば。
10人に1人はLGBT
何もおかしいことではないのだと彼らは体現し続ける。

アンドレ・マトス追悼。Angra初代ヴォーカリストの半生を振り返る。

6月8日、ブラジルのヘヴィメタルバンドAngraのオリジナルヴォーカリストアンドレ・マトスが死去した。心臓発作と見られている。


多くのアーティストから追悼の声が集まっている。


世界のヘヴィメタルシーンにおいてブラジルの地位を高め、メロディックパワーメタルというジャンルを代表するバンドであるAngraの創設メンバーだったアンドレ・マトス。
彼の半生を振り返る。


マトスは1971年、サンパウロで産まれた。
10才の頃にピアノを始め、中学になると音楽好きの友人たちと部屋に集まって、好きなバンドのレコードを聴いた。
その友人たちと組んだのが最初のバンド、Viper。この時マトスは13才だった。

活動するにしたがって、Viperの他のメンバーはよりヘヴィなサウンドを嗜好するようになった。クラシック音楽に近いサウンドに興味を持つようになったマトスは脱退する。
Viper脱退後、彼ニ改めて音楽学校に通い、オーケストラや音楽理論の勉強をする。
その学校で彼はラファエル・ビッテンコートと出会う。

意気投合した彼らはバンドを結成し、すぐに一緒に曲を書き始めた。

バンド名はAngra(アングラ)。
ブラジル神話の炎の女神から名前を引用したこのバンドは、現在に至るまでメロディックパワーメタルというジャンルを代表するバンドの1つとなる。

デビューアルバム「Angels Cry」は、日本とヨーロッパでヒットを記録、日本ではゴールド・ディスクを獲得した。
このアルバムにはヘヴィメタル史に残る名曲「Carry On」も収録された。

Helloween譲りのドラマチックなメロディックパワーメタルサウンドに、ブラジルのラテンミュージックのリズムを掛け合わせた独特のサウンドで人気を手にした彼らは、2枚目の「Holy Land」3枚目の「Fireworks」とヒットを連発する。
しかし「Fireworks」のツアー後、マトスはバンドのマネジメントを巡り言い争いとなり、Angraを脱退する。

Angraを脱退したマトスはShaaman(シャーマン)を結成。
1枚目の「Ritual」、2ndの「Reason」はいずれもヒットを記録した。

2007年にShaamanを脱退したマトスはソロ・アルバム「Time to Be Free」をリリース。これは彼の最高傑作の1つとなり、再び世界的な成功を収める。ヒットしたものの、このアルバムに伴うミュージックビデオは、日本のファンの為に作られたカバー曲のビデオだけであった。

2009年にはソロとして2枚目の「Mentalize」をリリース、2012年にはViper25周年を記念した再結成ツアーを行った。
キャリア初期から晩年に至るまで、彼の最大の支持基盤は、母国ブラジルと、ここ日本であった。

日本語で演歌も歌っている。



メロディックパワーメタルというジャンルを築き上げた功労者の一人であり、日本と相思相愛の関係でもあり続けたアンドレ・マトス。
47年という短い生涯ではあったが、ブラジルのヘヴィメタルシーンのパイオニアとして、そしてAngraという偉大なバンドのヴォーカリストとして、彼はヘヴィメタルの歴史から忘れ去られることはない。



さあ、歩み続けるんだ
人生には意味がある
きっといつかその意味を見つけることが出来るだろう

歩み続けるんだ
過去の思い出は捨てて
歩み続ける

Carry On/ Angra

TDRとウォルト・ディズニー社の現行契約は2076年まで!2076年はこんな時代。



画像出典:olc.co.jp


ご存知の通り、東京ディズニーリゾートを運営しているのは三井不動産京成電鉄が作ったオリエンタルランドという会社であり、アメリカのウォルト·ディズニー社の直営ではない。オリエンタルランドはウォルト·ディズニー社とライセンス契約を結んでおり、そのルールを守りつつ、パークを自ら所有し、運営している。
簡単に言うと、オリエンタルランドフランチャイズ・オーナーだ。
そのライセンス契約について、オリエンタルランドは昨年、最長で2076年までとなる更新に合意している。
そんな契約あるのか、と思うかもしれないが、50年以上のスパンでの契約はたまにある。
例えば、日比谷にあるペニンシュラホテルの三菱地所との賃貸借契約は2085年までだ。

もちろん契約には中途解約もあり得るので100%2076年まで継続するとは言い切れないが、計画としてそこまでは経営が成り立ちそうだ、という見通しは立ったということになる。


アジアには上海ディズニーも香港ディズニーもできた。
特に上海ディズニーは、次世代のディズニーテーマパークとして注目を集めていて、上海に行ったあと東京に来ると、「ショボい」と思ってしまう人が多いらしい。

色々リニューアルが必要だと思うのだけど、恐らく、ランドとシーの2つのパークを核とした運営のまま行くはず。
その基盤をより強固にする為の、2020年のランドと2022年シー拡張だろう。
根拠の無い推測ながら、多分、ランドの方はディズニー遺産として大改造はせずに大枠残し、シーの方で今後もガツガツリニューアルをしていくような気がする。
東京で3つ目のパークというのは想定しづらい。新たに土地を取得してゼロから作り上げる必要があり、ランドやシーと同規模のものを今作るとなると、それは数千億円では済まない。大きすぎる投資だし、人口が減っていく中で、回収も見込めないだろう。


2076年。

TDRは93thアニバーサリー。
TDSは75th。だからこっちがメインイベントになってるはずだ。
ミッキーの家ではミッキー148才の誕生日を祝いに行列ができている。
ダッフィーはまだ健在なのだろうか。
南海トラフは切り抜けたのだろうか。



博報堂が運営する「未来年表」というサイトが存在する。

これに従うと、2076年前後にはこんな出来事が起こる。


2068年: 3Dプリンターで街が作れる時代になる。

2069年:昆虫の数が半減する。

2069年: NASAが、ケンタウルス座アルファ星系の惑星(プロキシマ・ケンタウリb)を目指して宇宙船を打ち上げる。

2069年: 福岡市営地下鉄七隈線天神南―橋本)が累積赤字を解消する。

2070年:軍艦島の建物と護岸が、このころ風化により崩壊する。

2074年: この年までに米国のイエローストーン火山が噴火する。

2075年: 茨城県常陸太田市が、72年に1度の金砂大祭礼の年を迎える。

2075年:1人の高齢者をささえる働き手の数が1人を下まわる。

2076年: 空気中の二酸化炭素濃度が1.8倍に達し、この年以降、日本の年平均気温が、約3度上昇する。

2076年: 沖縄県真夏日が年間150日(約4割)を占める。

2077年: 日本の生産年齢人口に対する65歳以上人口の割合(従属人口比率)がこの年まで上昇を続け、最高53%の消費税率が必要になる。

2084年:このころ日本の公的債務がGDP比60%の健全な水準を回復する。

だそうだ。
消費税50%は健全じゃないだろどう考えても。


ちなみに「2076年」のウィキペディアもあった。

ちびまる子ちゃん90周年
サッポロ一番110周年
ポケモン80周年
仮面ライダー105周年
サザエさん130周年
・たまごっち80周年

だそう。

人生100年時代ということは、今の若者はほとんどまだ生きているはず。自分は86才。無事生きてるだろうか。

エリック・マーティンの葛藤。Mr.Bigの未来はどこに向かうのか。


画像出典:drummerszone.com


2019年7月号のBurrn!誌に掲載された、Avantasiaで来日したエリック・マーティンへのインタビューは、ファンを複雑な気分にさせるものだった。

パットが亡くなった後の後任ドラマー、マット・スターの演奏にイラ立っていたこと。
バンド外の活動に軸を置いてきたポール・ギルバートへの積年の不満。
Mr.Bigとして何かやるよ!」と、決まっていないことについて口を滑らせてしまったことへの自責の念。
「クソっ…」と苛立ちを見せながら、出来ればMr.Bigという炎を絶やしたくはない、だけどそれを出来る自信がない、という趣旨のことを言う。

途中でエリックは話を切る。
「話を変えよう。僕は愚痴り続けてしまっている。」


彼が今大きな葛藤を抱えていることが分かる。
かつてないほど大きい葛藤。
何らかの形でMr.Bigというバンドを継続できればとは思うが、パットを失った傷は癒えていないし、相応しいドラマーを見つけられる気がしない。
ポール・ギルバートにはバンド継続へのモチベーションが無さそうである。

エリック・マーティンは音楽に真摯なアーティストであり、Mr.Bigというバンドを心から愛している。
だからこそ、この大き過ぎるジレンマを、抱えきれずにいるような印象を受ける。


僕は好きなバンドトップ10に入るくらいの大ファンだが、Mr.Bigは率直に言って、報われないバンドだったと思う。

実力やサウンドの大衆性を考えれば、世界のトップに立ち続けていてもおかしくないはずのバンドだった(「To be With You」は全米1位になったけど)。

でも現実には、日本なら武道館をいっぱいに出来る大物かもしれないが、欧米ではそうではない。フェスに出ても、ラインナップの下の方にちっちゃく書かれるだけ。
時代、プロモーション、いくつか理由はあっただろう。


ハードロックバンドらしからぬ、メンバー達の柔和で穏やかな印象。それがまた日本のファンを惹きつけた。
しかし同時に、どこか、壊れてしまいそうなはかなさを、再結成後も常に漂わせていた。
それは多分、全員が明るく振る舞いつつも、微妙な人間関係のバランスを保ちながら活動している、かすかな緊張感が伝わっていたからだと思う。


Mr.Bigは実力者が集まったスーパーバンドとしてスタートした。
だからメンバーは、取り分け、ポール・ギルバートとビリー・シーンは、バンドが無くてもやることがいくらでもある。
エリック・マーティンもそうだ。

そんな中で、Mr.Bigというバンドの接着剤的な役割を果たしていたのがパット・トーピーだったのだろう、と今さら思う。
それどころか、「Mr.Big」とはパットのことであり、その彼のもとに他の3人が集まっていたのではないか、という気すらする。
現にMr.Bigというバンド名を付けたのはパットであり、アルバムタイトルの多くもパットが考えた。

多くのバンドは、ドラマーが脱退しても活動を続けるのだろうが、Mr.Bigがそうは行かなさそうなのは、そのドラマーこそがバンドの支柱だったからなのかもしれない。

活動を続けることが大儲けにつながるなら話は別だろうが、残念ながら、Mr.BigはGuns n' Rosesではない。

もうしばらくして、最後に解散ツアーだけやってMr.Bigは終焉を迎えるのかもしれないし、あるいは相応しいドラマーを見つけて、活動を継続するのかもしれない。

今の状態で、無理に新曲を作ってくれだの活動を再開してくれだのとは、思わない。
今それをやると、決定的な亀裂を生み兼ねないような気がするのだ。全員がもう少し落ち着いて、関係がうまく行くようになってからでいいと思う。
願いはもちろん、Mr.Bigのかつての笑顔、素晴らしい楽曲とパフォーマンス。
パットが居なくてもそれが起こり得るのだとしたら、それが一番の願い。



Defying Gravity(2017)。ここにこういう形でパットが参加していたことが、彼がいかに肝心な存在だったかを示しているように思う。

ジョージ・ハリスン、ソロ時代の名曲10選。


ビートルズが解散して一番活き活きしていたのは他でもない、ジョージ・ハリスンだった。ビートルズ時代から実力は認められていたが、2人の世紀の天才の影にはどうしても隠れてしまっていた。エリック・クラプトンボブ・ディランローリング・ストーンズなど交友関係が広く、また新たな楽器や機械の導入を試みるなど創作意欲にあふれた存在だった。
多くのロックアーティストとファンに愛されたジョージ・ハリスンの、ソロ時代の楽曲から10曲をチョイスした。


My Sweet Lord(1970)
ロック史に残る名盤「All Things Must Pass」のリードシングルにして、ソロ時代の最も有名な曲。世界各国で大ヒットを記録した。当時ジョージが傾倒していたヒンドゥー教の神への信仰が歌詞となっている。が、盗作として訴えられ、結局ジョージは賠償金を払っている。

Jody Millerの「He's So Fine」。まあ盗作と言われるのは妥当…。


Isn't it a Pity(1970)
「All Things Must Pass」収録の名曲。
ビートルズ在籍時代に書いていたものの、ビートルズとしては録音を見送ったらしい。結果としてそれは正解だったと思われる。独特の浮遊感と静かなメロディの美しさが、同じフレーズの繰り返しを飽きさせないものにしている。


What is Life(1970)
「All Things Must Pass」収録の高揚感ある名曲。これを聴くと、ジョージに取っては本当にビートルズが解散したのは良かったんだな、と感じる。ビートルズ時代に彼がこの曲を書いても、恐らく収録されなかっただろう(というより、完成までこぎつけなかったのではないかと思う)。


All Things Must Pass(1970)
「All Things Must Pass」今聴いても古くささを感じさせない、感動的なバラード。哀愁漂うジョージの軽いしゃがれ声、後半からのサックスの参加が見事。


Got My Mind Set on You(1987)
ジョージの完全復活を印象付けた名盤「Cloud Nine」からのノリの良いキャッチーなロックチューン。ナイル・ロジャースプロデュース。


Blow Away(1979)
突然異世界に連れていかれるような美しいイントロから、朗らかなサビ。終始哀愁を感じさせるポップな名曲。ジョージのソロの中では、非常にビートルズっぽい曲。


Give Me Love(Give Me Peace on Earth)
イントロのスライドギターはジョージの真骨頂。ポップでありながら哀愁を感じさせるメロディとヴォーカル、美しいピアノ。少しボブ・ディランの曲作りからも影響を受けているように感じる。素晴らしい名曲。


All Those Years Ago(1981)
邦題「過ぎ去りし日々」。もともと、リンゴ・スターのソロに提供しようと曲を準備していたところ、ジョン・レノンが死去。ジョージは歌詞を書き換え、ジョンへのトリビュートを兼ねた歌としてこの曲を発表する。ドラムはリンゴ、バックボーカルにポールが登場している。優しいメロディのロックンロール調の曲。


This Song(1976)
自身の盗作問題をパロディにした歌。明るいグラムロック風のピアノと楽しげなメロディが愉快さを際立たせている。ジョージ自身が監督したPVも楽しくて傑作。


Crackerbox Palace(1977)
邦題「人生の夜明け」。ジョージが尊敬していた俳優のロード・バックリーに捧げた曲。シンプルなポップロックサウンドにこれまたスライドギターでジョージ色を追加。PVはモンティ・パイソンの監督が担当。




「All Things Must Pass」はロック史に残る名盤として知られているが、その後も2001年に亡くなるまで積極的に作曲、ライブ活動を続け、多くの名曲を発表してきたジョージ・ハリスン。彼が本当にその真価を発揮したのは、ビートルズ解散後だったと言っていいだろう。
その才能と明るさで、多くのロックアーティストにリスペクトされ続けた「静かなビートル」のソロ活動の音楽に是非触れてみよう。


「Crackerbox Palace」コメディ風のPV。ジョージの家で撮影された。家というか宮殿…。

酒、堕落、破滅。エミール・ゾラ「居酒屋」


僕はお酒があまり好きじゃない。

すぐ頭が痛くなるから飲むのもあまり好きじゃない。
本当に仲の良い友達や、尊敬している人、気になる女の子など、心から「この人の話を聞きたい、この人と仲良く過ごしたい」と思わない限り、お酒は別にいらないと思っている。
酔っ払いは嫌いだし、駅のホームに10メートルおきにマーキングされているゲボの跡もウンザリする。
毎日のようにビールの画像をインスタにアップしてる人も嫌いだし(オシャレなやつならともかく部屋で飲んでる缶ビールの写真をあげる人が居るんだが、何を発信したいんだ)、電車の中で缶チューハイを片手に持ってる親父も嫌いだ。迷惑かけてないと思ってるのかもしれないが、酒臭いんだ。
居酒屋の前で12人くらいでたまって「この後どうする?行く人、行かない人〜」みたいになってるサラリーマン男女もジャマだ。大学生くらいなら許す。彼らはそこらへんも含めて勉強中だ。

僕は極端な方だと思うが、そんな酒嫌い、あるいは酒から離れた方がいい人たちにうってつけの小説が「居酒屋」だ。


ゾラの作風は、「自然主義」。

ロマンチックなキラキラとしたおとぎ話のような物語ではなく、リアルな現実社会を切り取ったドキュメンタリーチックな作風ということだ。

人々がどんな暮らしをし、朝から晩まで苦しんで働き、仕事をサボったり、ムシャクシャして行きずりの女や男と寝たり、借金に苦しめられたり、 給料日に調子に乗って泥酔したり、食べ過ぎて後悔したり、急に気分が穏やかになったり、金持ちを妬んだり、見栄を張ったり、が作品の大半を占める。

でもつまるところ、それが人の生活だ。
イケメンに会って嬉しい、別れて悲しい、なんていうのは、生活の中のごく一部に過ぎない。


あらすじ(最後のネタバレは無し)。
主人公のジェルヴェーズは洗濯婦(クリーニング屋)。ランチエと同棲していて、子供も2人いるが、生活がうまくいかない。
若くして駆け落ちしたので、貧乏だ。
ある日ランチエは別の愛人を見つけ、家の財産を根こそぎ持って逃げていってしまう。
ジェルヴェーズは絶望するが、彼女はメンタル強者だった。一人で何とかやっていく、一人で子供たちを育て上げるぞ、と決意する。
しばらくすると、 ブリキ屋のクーポーなる男がジェルヴェーズに惚れる。
結婚しよう結婚しよう、としっこく迫られ結婚する。クーポーは誠実な男だった。
貧しいながらも充実したジェルヴェーズは起業家精神に目覚め、自分の洗濯屋を持ちたいと考え出す。
ここでもう一人、グージェという男が現れる。この男はこの物語における「善」の象徴といえる存在で、働き者、倹約家、ジェルヴェーズに対するプラトニックな愛をささげる。ジェルヴェーズの開業資金も貸してくれる。ジェルヴェーズとグージェとの間には、汚れのない、純粋なロマンスが生まれる。
ジェルヴェーズは無事クリーニング屋を開業。バイトを雇い、新しくナナという女の子も生まれ、順風満帆。
ある日、旦那クーポーが仕事中に屋根から転落して骨折する。クーポーは怪我をいいことに働かずに飲み歩くようになり、徐々に堕落していく。家の金をバンバン使ってしまう。
さらにそこに、元同棲相手のランチエがストーカー的な感じで戻ってきた。
ジェルヴェーズはランチエと寝るようになり、その悪い噂が町中に広まり、客足は遠のく。 徐々にひどく貧乏になっていき、借金地獄に。 ジェルヴェーズ自身も怠惰になり、 少しでも金が入れば酒を飲み、不潔になり、どんどん転落していく。
娘のナナは、母親のジェルヴェーズがランチエと不倫している様子をコッソリ見ていた。彼女は貧乏に耐え兼ね、家出をして金持ちおじさんの愛人として生きていくようになる。
クーポーは重度のアル中になり完全に狂人と化す。
ジェルヴェーズは…。

ここからは読んでのお楽しみ(楽しくねえだろ、どう考えても)。


楽しくない、と書いたが、ゾラの文章は非常に描写が豊かで、読んでてワクワクする(特に食事の準備をするところ)。

またこの時代(19 世紀)のフランス文学の面白いところの一つは、すでに現代の日本と同じ社会システムの多くが存在して、それについて細かい描写がされているところだったりする。銀行、ローン、借金、 破産、担保、 給料日、起業。なんとなく現代とも重ね合わせられるところがあるのは、ここらへんのシステムの根本が変わっていないからだろう。これをシステムごと輸入したのが明治以降の日本だから、当然といえば当然なのかもしれないけど。


ただ、展開はとにかく破滅的で、なかなかに衝撃的な作品だと思う。


前半のジェルヴェーズは熱心に働く。

彼女にとっての「完全な幸福」とは、「一生へとへとになるまで働いて、パンを3食欠かさず食べて、寝る家を持って、子供を育てて、自分の寝床で死ぬ」こと。これはなかなかの名言だと思う。ここでいってる「家を持つ」というのは持ち家とか借家とかそういうことではなく、ただ寝る家を場所を確保する、という意味。大家のボッシュ氏も同様の考えを持っていた。「働くことこそ、すべてに至る道だ。」

しかしそこから酒浸りと性的な堕落により、ジェルヴェーズは転落の一途をたどる。主人公が転落するストーリーは数あれど、ここまで落ちる話はそうそうないだろう。
社会には2番底も3番底もあって、人は状況しだいで誰でもそこに落ちる可能性がある。
時としてそれは運である。
これは現代も変わらないと思うし、だからこそ僕は「自業自得」という言葉があまり好きじゃない。
同じ状況に立たされたら、自分も同じ行動を取るに違いないと思うからだ。


善の象徴はグージェ。
悪の象徴は、作中でちょくちょく言及される、近所のコロンブおやじの居酒屋で稼働している酒の蒸留器だ。

この「居酒屋」は、ある家系を追ったルーゴン・マッカール叢書と呼ばれるシリーズの第7巻。これの続編は、娘のナナが主人公の「ナナ」。ただスターウォーズ的なことでは無く、作品としてのつながりは薄い。



酒について、最近僕は少し気になっていることがある。

3年くらい前、9%のストロングゼロブームが起こった。
ビールより高いアルコール度数、安さ、すぐ酔える、という理由でバカ売れしていた。
今、ストゼロブームは落ち着いたかのように見えるが、実際には他社も9%以上の飲み物を出したので分散しているだけ。

9%というのは、コンビニで変える安酒としてはかなり高い数値だったはずだ。
けど今はプライベートブランドのストロング系、それどころか10%や 11%という商品も出ている。

9%は当たり前になった。
酒のcmもやたら増えた気がする(これは気のせいかもしれない)。

この傾向はこれから加速するような気が僕はしている。

日本は、日本人は、多分これからどんどん貧乏になっていく(ならなきゃいいとは願うけど、どうやらその可能性が高いらしい。)

人生が辛くなれば、安酒の需要は増す。
需要が増せばビジネスチャンスだから、メーカーはどんどん度数が強く、手軽な酒を出すだろう。

もしそんなスパイラルになってくると、この小説のストーリーは示唆的で、いよいよ笑えないものになってくる。
悲観的過ぎるかもしれない。
安酒は体に悪いからやめよう。

伝説的プロデューサー ナイル・ロジャースが手掛けた曲12選。


音楽プロデューサーというのはあまり表には出てこないが、世界にはスタープロデューサーが数多く存在する。その頂点に立つ一人がナイル・ロジャースだ。1970年代にディスコグループ、Chic(シック)でヒットを連発、80年代以降はマドンナ、デイヴィッド・ボウイ、ダイアナ・ロスジョージ・マイケルそしてアヴィーチーなど、時代を象徴するアーティストの楽曲を数多く手掛けてきた。
音楽史に名を残すプロデューサー、ナイル・ロジャースの代表曲12曲をチョイスした。



Le Freak/ Chic(1978)
邦題「おしゃれフリーク」。全米1位になったディスコアンセム
ナイル・ロジャースの真骨頂、ビートの隙間を縫うようなチャラチャラとした色気のあるギター・サウンドが爆発。


Good Times/Chic(1979)
全米1位。音楽史上最もサンプリングされた曲の1つであり、このバージョンを知らなかったとしても誰でも聴いたことがあるディスコの名曲。この曲と「Le Freak」はのちの音楽界に絶大な影響を与えた(そしてその影響力は明らかに過小評価されている)。「1度聴いたら忘れない」がロジャースの信条の1つであり、このコーラスはそれを地で行っている。だからこそ、誰の頭にも刻まれている曲なのだ。


We are Family/Sister Sledge(1979)
誰でも聴いたことがあるディスコの名曲②。ロジャースはこの曲が収録されたアルバムを「自身の最高傑作」と呼んでいる。コーラスが象徴的ながら、イントロから始まるギターとキーボードのお洒落なフレーズだけでも曲として充分すぎるくらい成立する。すごすぎる。


Upside Down/ Diana Ross(1980)
全米1位。ナイル・ロジャースが最初にプロデュースした世界的大物の曲。僕が大好きなロジャースのギターサウンドはやや鳴りを潜めてるが、洗練されたファンクサウンド。当時としては先進的で、今聴いてもすごくカッコ良い曲なのだけど、このスタイルがダイアナ・ロスに合っているのかというと、個人的には正直疑問だったりする。


Let's Dance/ David Bowie(1983)
ボウイ最大のヒット曲の一つ。グラムロック、ソウル路線から脱却した80年代のボウイのイメージを作り上げたのはナイル・ロジャース。ボウイは彼の家に行き、リトル・リチャードの写真を見せて「次のレコードはこんな感じにしたいんだ」と言ったそう。ダンサブルなロックンロール、という意味だろう。時代を読んだボウイとロジャースが作り上げた傑作。


Like a Virgin/ Madonna1984
全米1位、マドンナを象徴する曲。当初ロジャースはこの曲に自信が無かったが、「4日経っても頭に残っていたので」いける、と踏んだらしい。元々はバラードとして書かれた曲だったが、歌詞やマドンナのイメージに合わせて「Material Girl」と同様、ポップ調のダンスチューンに仕上げた。結果は見事。マドンナのイメージを世界に知らしめることになった。


Material Girl/ Madonna1984
マドンナ代表曲の1つ。おそらくマドンナ史上一番キャッチーなポップチューン。ジャクソンズの「Can You Feel it」のベースラインを用いた。


The Reflex/ Duran Duran1984
全米1位。「Ordinary World」と並んでデュラン・デュランの最高傑作と言っていいだろう。
ニューロマンティック」と呼ばれるジャンルの特性が僕にはイマイチ良く分からないのだけど、都会的なダンスロック。


Original Sin/ INXS(1984
バンド名の読み方はインエクセス。疾走感とメロディアスなサビが印象的なThe80年代サウンドのダンスロックチューン。PVの撮影は日本で行われた。


Roam/ The B-52s(1989)
超キャッチーなポップロックチューン。いつ聴いてもいい曲ながら、ナイル・ロジャース色はそこまで強くないと思う。


Get Lucky/ Daft Punk(2013)
ダフト・パンクが憧れの存在だったロジャースに数曲のデモテープを持っていくと、この曲が気になったロジャースはすぐにギターで色気を追加。ヴォーカルにファレル・ウィリアムズを起用し、従来のダフト・パンクサウンドとは異なりながらもヒット曲となった。



Lay me Down/Avicii(2013)
アルバム「True」収録。ヴォーカルはアダム・ランバート、ギターをロジャースが演奏している。グルーヴが強くてノリの良いディスコ風のEDMチューン。




ディスコサウンドの神であり、「80年代っぽい」と呼ばれるサウンドを生み出した伝説的プロデューサー、ナイル・ロジャース。今も健在であり、2018年にはシックとして25年振りのアルバムを発表した。彼が居なければ、今の音楽シーンは少し違う物になっていたはず。
プロデューサーという切り口で音楽を聴く、ということはあまり無いかもしれないが、プロデューサーにはそれぞれ色がある。
ナイル・ロジャースがプロデュースしたのは名曲ばかり。彼が手掛けた曲、という軸でいくつか聴いてみると面白いと思う。