海外メディアが報じる日本

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サン・テグジュペリ講談

裕福な家で育ったサン=テグジュペリー。
大きな屋敷は彼にとって退屈な場所でもあった。
「ここでずっと暮らすなんてつまらないな…。僕はワクワクすることがやりたいんだ。」

彼は家族の反対を押し切って、当時最も危険な職業と言われたパイロットを目指した。
軍隊に入った彼は空軍を志望、26才で憧れのパイロットになった。
念願のパイロットの仕事は彼が思っていた以上に危険の連続だった。
不時着は当たり前。
砂漠の真ん中で救助を待って、何日も砂山を歩くこともあった。

「飛行機落ちちゃったなあ…。でも、砂漠はいいな。何にもないんだから。頭の中が本当に自由だ。もしかしたら、空からこの砂漠に、王子様でも降ってこないだろうか。その王子様が色んな星を回った経験を教えてくれる。そして幸せとは何か、僕に考えさせてくれたりして…」

砂漠の中で、彼は頭の中で一冊の本を書き上げていた。
自宅に戻ると一気にペンを走らせ、出版社へと持ち込む。
こうして彼のパイロットとしての経験がそのまま活かされた小説、「星の王子様」が誕生した。

「星の王子様」のヒットで有名になった彼に、妻が言う。
「あなた、パイロットなんて危ない仕事は辞めて、物書きに専念したらどうなの?」

「いや、僕は、空を飛んで地上に戻る。それを繰り返す度にいつも何かを発見するんだよ。この仕事で、人生って何なのか、少し理解できるような気がするんだ。小説は、その分かりかけたことを書き記しているだけなんだ。だから僕はパイロットは辞めないよ。」

第二次世界大戦に突入した。

その日の彼の任務は、敵の状態を偵察すること。
フランス軍の飛行機に乗ったサン=テグジュペリーは飛行場を飛び立った。
「じゃあ行ってくるね。また何か新しい発見をしてくるよ。」
その言葉を最後に、彼は消息を絶った。

それから50年以上が経ち、地中海から一機の飛行機が引き上げられた。
それはサン=テグジュペリーの飛行機だった。

このニュースを知って驚いたのは大戦中、ドイツ軍で爆撃機パイロットをしていた一人の男。

「僕はサン=テグジュペリの大ファンでした。彼の小説は、同じ飛行機乗りだった僕を勇気づけてくれていたんです。まさか僕が撃ち落としたあの飛行機を操縦していたのが彼だったとは。ごめんなさい。」

男はサン=テグジュペリの遺族に謝罪の手紙を送った。
それを受け取った遺族は返信した。

「ファンだった方に殺されてしまう。まるで小説のような出来事ですが、それが現実に起きたのですね。でもこの事実が知られることによって、戦争がいかに馬鹿げたものかが伝われば、彼もきっと安らかな笑顔を浮かべると思います。」