海外メディアが報じる日本

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ヨネックス創業講談

父親は下駄の職人。
木材を仕入れて加工し、下駄にして売る。

幼い彼は、売った下駄の代金の回収を命じられていた。
「うちには今払える金なんてないよ。帰った帰った。」
貧しい新潟の田舎で、どの家を回っても下駄の代金は払ってもらえない。
そうする内に、材木の問屋が家に乗り込んできた。
「おい、下駄屋。3か月分、材料代が滞っているぞ。早く支払え。」

両親は畳に頭を擦り付けて謝った。
柱の影でそれを見ていた彼は
「早く家を出なければ。早くお金を稼がなければ。」
そう強く思った。

それから数年。
日本は戦争に突入し、彼は実家を出るため、軍隊に志願した。
配属されたのは沖縄の特攻隊。
日の丸のはちまきを締め、出撃命令を今かと待った。
「俺は死ぬ。もう新潟へは帰れない。」

しかし本部の方針が変わり、特攻隊の出撃は取りやめになった。
九死に一生を得た。
そう思ったが、まだ激しい戦闘は続いていた。
彼は手榴弾を手に、連合軍と戦うことになった。
自動小銃の雨が降り注ぎ、仲間は次々と死んでいった。

「今度こそもうダメだ。」

そこへ空から日本の降伏を知らせるビラが舞ってきた。
「なんだって?日本が降伏した?戦争が終わった?俺は死ぬと思ってたのに。これから俺はどう生きていけばいいんだ。」

彼はとぼとぼ新潟へ戻った。
家にあるのは、下駄作りの木工の道具だけ。

「これを使って何かやるしかないのか。」

漁船で使う木製の浮き、薬を入れる木箱、彼は作れる物は何でも作った。
しかし思うようには売れない。

「いいんだ。俺は一度死んだ様なものだ。あの時の辛さに比べたら、借金が増えるくらいなんてことはない。」

彼は全国を回り、木工製品を売り歩きながら、次に何を作るべきか考えた。

ある日彼は取引先の会社に紹介されて見学した、スポーツ用品でそれを見つけた。

「これなら俺の道具で作れるかもしれない。」

彼は工場長に頭を下げた。
「下請けでいいんです。どうかこれをうちでも作らせて下さい。」

何度も断られた。
しかし彼は床に頭を擦り付けた。

親はいつも土下座していた。
戦地で死ぬことを思ったら、土下座なんて幾らでもする。

「しょうがない。いいものが作れたら採用しましょう。」

根負けした工場長は彼に仕事を依頼し、彼はこのチャンスを逃すまいと、夜も寝ずに製品を作った。
こうして彼が作り上げたのは、これまでに無い高品質のバドミントンラケットだった。

その後、この会社が倒産した時も、工場が火事で全焼した時も、彼はめげなかった。

「なに、俺は一度死んだ人間だ。まだまだ頑張れる。」

彼の名はラケットメーカーとして、世界に轟いた。