戦後の混乱期、郁太郎は結核で入院していた。
辛い闘病生活で彼を助けたのは、手先の器用さ。
「おい郁太郎くん、ちょっと見てくれよ。この時計、壊れちゃったみたいなんだ。」
「お安い御用です。明日までになおしておきます。」
頼まれた時計の修理やラジオの修理で、郁太郎は何とか医療費を支払うことが出来ていた。
よし、俺は技術者になる。
やるからには日本一を目指そう。
体が良くなり、散歩も出来るようになった彼はある日、大学の礼拝堂を訪れる。
そこで運命が変わる体験をする。
なんだこの音楽は。
こんなすごい音、今まで聴いたことがない。
「すみません、これは何という楽器なんですか?」
牧師が答える。
「これはパイプオルガンです。全部人間が作ったものなんですよ。」
「なんて凄いんだ。オルガンを作った職人、そしてそれを弾く職人。これは職人達が作った芸術なんだ。」
それ以来彼はオルガンの音色、そしてその技術の虜になる。
彼は自分が持っている電子機械の知識をフル動員させ、オルガンの音色が再現できる装置を作ることに没頭する。
納得が行く楽器が出来るまで、15年かかった。
彼はその楽器を、フランスの古い歌「La Chanson de Roland」から、Roland(ローランド )と名付けた。
そして次々に名器と言われる電子ピアノを生み出していく。
それから時が経ったある時、彼の心を揺さぶるメーカーが現れる。
アップル・コンピューターだった。
「カケハシさん、ぜひうちと一緒に新しい楽器を作りましょう。誰もが気軽に演奏できる。そんな夢の様な楽器を作ろうではありませんか。」
梯は迷った。
彼はアップル製品のファンであった。
この会社がこれから世界を変えていく会社だということを彼は理解していた。
しかしローランドは一緒に新しい楽器を作ってもいいのか。
その時、ふと彼の耳にあのパイプオルガンの音が聞こえた。
あの音が僕の原点だった。
あの演奏は実に素晴らしかった。
演奏する職人が頑張って練習する。
その結果いい音が出来る。
パイプオルガンの音色は、素晴らしい腕の演奏者が居るから素晴らしいんだ。
「すみません。せっかくの申し出ですが、ローランドは、誰でも簡単に演奏できる楽器は作りません。僕は芸術を愛する職人達が使う楽器を作りたいんです。」
こうして彼はオファーを断り、プロ向けの楽器を作り続ける道を選ぶ。